明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。


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神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

モンテ・ヘルマンの『銃撃』『旋風の中に馬を進めろ』

モンテ・ヘルマン『銃撃』は不思議な西部劇だ。 ずいぶん昔に見たときは、 字幕なしのフィルムだったせいで、話がよくわからなかった。今回この作品と同じくモンテ・ヘルマン作の『旋風の中に馬を進めろ』があわせてDVD化されたので、字幕付きで久しぶりに見直してみた。やはり、よくわからない。見れば見るほど謎めいてくる不思議な西部劇である。

この映画の主要な登場人物はたった4人だけ。 物語は、ウォーレン・オーツが金鉱掘り仲間のウィル・ハッチンスの野営している場所に帰ってくるところから始まる。取り乱した様子のウィルが話すには、仲間のひとりが目の前で殺され、もうひとりの仲間は馬でどこかに逃げてしまったという。そこに馬に乗った若い女(ミリー・パーキンス)が現れ、ふたりに道案内を頼む。女はだれかを追いかけている様子だが、それがだれなのか、またなんのためなのかはわからない。ウォーレンは女の正体を怪しむが、お調子者のウィルは女に好意を抱き、女は女で彼の好意を平然と利用する。それが、さらにウォーレンをいらだたせる。やがてふたりは、かれらの背後を影のようについてくる人影に気づく。どうやらそいつは女の仲間らしいのだが・・・。

追っているのか追われているのか定かでないような、不思議な感覚。やがてその追っ手(ジャック・ニコルソン)が目の前に現れたとき、かれらのあいだの心理的緊張はさらに張りつめる。 ジャックはミリーに雇われた殺し屋らしいのだが、ふたりの関係は定かではない。恋人同士なのか、それとも兄姉なのか。そもそもミリー・パーキンス演じる女の名前は、最後までわからないのだ。女はいったいだれをなんのために追っているのか・・・。

いかようにもとれる観念的物語である。場合によっては、これをもっともらしい芸術映画に作り上げることもできたであろう。しかし、この映画の魅力は、この観念的すぎる物語を、いい意味での通俗的演出によって、見事な活劇に変えてしまった点にある。バザンがベティカーを評した言葉を用いるならば、『銃撃』は「知識人的ではなく、知的」な西部劇なのだ。ほかの監督ならば、色気を出して鬼才を気取ったりするところだが、この監督にはそんな物欲しげなところが微塵もない。まるで、ふつうの映画を撮ろうとしていたらついこんな映画ができてしまった、とでもいいたげである。

『銃撃』と平行して撮られた『旋風の中に馬を進めろ』についても、まったく同じことがいえるだろう。 3人のカウボーイたちが、たまたま駅馬車強盗のアジトで一夜を過ごしたために、無実の罪を着せられて逃げまわるはめになる。ひとりは銃弾に倒れ、残るふたりは山中の一軒家に人質を取って立てこもる。やがてその場所にも追っ手が迫ってくる・・・。

『銃撃』が追跡の映画だったとすれば、これは逃亡の映画である。『銃撃』の追跡の曖昧さに比べれば、『旋風の中に馬を進めろ』の逃亡劇ははるかにわかりやすい。しかし、『銃撃』の追跡に結局は意味がなかったように、この映画のカウボーイたちの逃亡も意味を奪われている。 かれらは、なぜ逃げなければならないのかわからないまま、ただ逃げるしかないのだ。この映画にはヘルマンが愛読したカミュの影響が感じられる。『銃撃』では冷酷な殺し屋を演じていたジャック・ニコルソンが、ここでは素朴なカウボーイを好演している。

ヘルマンはロジャー・コーマンの助言を受けて、この二本をいわば一本分の予算で短期間で撮り上げた。ともにニコルソンとパーキンスが主演し、スタッフもほぼ同じ、ロケ地も同じユタである。だから、この二本の映画が、ある意味で双子のように似ていることに不思議はない。しかし、その実、『銃撃』と『旋風の中に馬を進めろ』のそれぞれから受ける印象はずいぶんと違う。 それには物語の違い以上に、ヘルマンの地形に対する嗅覚が大いに関係している。『銃撃』は砂漠というなにもない空間を舞台に、『旋風』はふたつの一軒家と絶壁の岩場に、物語を展開させる。同じロケ地で同時に二本を撮りながら、これだけ肌合いが違う映画を撮り上げられるのは、ヘルマンに優れた現実感覚があるからだ。物語が観念的であっても、映画は決して観念的にならない。映画的知性とはそういうものなのだ。

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この二作のDVDには、監督モンテ・ヘルマンと女優ミリー・パーキンスが、司会をまじえて、本作について語った音声解説が、特典として付いている。画質については、どちらのDVDも、若干ピンぼけ気味に見えた。 ヘルマンはコメントのなかで、撮影監督の技術をしきりとほめているのだが、このDVDでは実感できないところもある。ひょっとすると再生環境によるのかもしれないし、もしかしたら北米版と日本語版のあいだに違いがあるのかもしれない。それはともかく、この音声解説は非常に面白いし、勉強にもなる。ただし、ヘルマンの説明を聞いても、『銃撃』の謎はいっこうに明らかにならないのではあるが。