明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。


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神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

『殺人の追憶』


ポン・ジュノ『殺人の追憶』を今頃になってテレビで見たのだけれど、予想以上にいい作品だったので驚いている。一言でいうとサイコ・スリラーものなのだが、よくできているだけの『セブン』などよりはよっぽど刺激的な映画だ。

舗装もされていない道の両側に田んぼがどこまでも広がっている。そんな田園風景のなかに女性の惨殺死体が発見されるところから映画は始まる。死体が発見されるのは、田んぼの脇を流れる細い用水路のトンネルのなかだ。このトンネルのモチーフは謎に満ちた事件の迷宮を象徴するものとして、作品のなかで何度か繰り返し登場することになるだろう。映画の冒頭にもふれられるように、この映画は実際に起こった未解決の連続殺人事件を題材に映画化したものだ。しかし、そんなことは忘れてしまうほど映画自体はフィクションとして完成されている。

ソン・ガンホ演じるたたき上げの刑事と、事件を捜査しにソウルからやってきたインテリ刑事とが最初対立し合うが、事件を追ううちにふたりが協力し合ってゆくという展開は、『夜の大捜査線』などに代表される刑事ドラマの典型的パターンだ。しかし、ソン・ガンホの存在感がこのキャラクター設定に十分すぎるほどのリアリティを与えている。

雨の夜、ラジオであるメランコリックな曲が流れる日に限って、若い女性が犠牲になる。獲物となる女性を木陰からのぞく犯人を、背中から主観キャメラ気味に撮った場面。ダリオ・アルジェントふうともいえるが、詩的な雰囲気はむしろシオドマクの『らせん階段』などを思い出させる。徹底して曇天にこだわった画面が秀逸。それだけにラストの嘘のように晴れ渡った田園風景が鮮烈な印象を残す。なにもない用水路のなかをのぞき込んだあと、同じようにその中を覗いていた人がいたという少女の話を聞いて、惚けたような顔でキャメラを見つめるソン・ガンホの顔がすばらしい。この映画は最近では一二を争う「顔」の映画でもある。白痴の男の麻痺したような顔、最後の容疑者の青白いおびえたような顔。しかし、結局犯人の顔は最後まで画面に映し出されない。

殺人の追憶

この映画の英語タイトルは MEMORIES OF MURDER なのだが、果たして「殺人の追憶」という邦題はこれでいいのだろうか。 この場合の MEMORIES には、容疑者たちの記憶という意味と同時に、80年代軍事政権の「時代の記憶」という意味もあると思うのだが、「追憶」という言葉はあまりにも叙情的にすぎる気がする。この作品は、経済的には88年のソウル五輪でピークを迎える時代の「暗」の部分を描いてもいるわけだが、多くの観客はサイコ・キラーを描いたいわば韓国版『セブン』ぐらいにしか受け取っていない可能性がある。ちなみに、ベルクソンの『物質と記憶』では、「記憶」memoire と「追憶」souvenir は「本質的差異」として峻別されるべきものとして扱われる。