明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。


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神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

テオ・アンゲロプロス『シテール島への船出』


この日、某所で仕事を済ませたあと、七芸に『シテール島への船出』を見に行く。

ギリシアにはじめて社会主義政権が誕生した時代に撮られた作品。それだけに、絶望はさらに深いともいえる。

スピローアレクサンドルースピロ。軍国主義的(?)行進歌。40年代のギリシア。ナチ。レジスタンス。かくれんぼ。フィクションと現実。冷め切った夫婦関係。何もかもが凝縮された見事なファースト・シーン。

ラベンダー売りの老人は、最初、カフェの鏡のなかに写ったイメージとして現れる。文字通り歴史の亡霊。その後をつける監督アレクサンドル。港まで来たところで、女優のヴーラが現れる。彼女はこの時点ですでにアレクサンドルの妹の役を演じている。映画のなかの映画がもう始まっている。船のタラップから降り立った老人の姿が、まず水たまりに映った影として現れる。建物の上から彼を見つめるアレクサンドルとヴーラ。キャメラがゆっくりとズームしてゆく。「わたしだよ」(エゴイメ)。キャスティング会場で繰り返されていたのと同じセリフが、ここでようやくそれにふさわしい肉体を見出す。まれに見る効果的なズームの使い方。

繰り返される「しなびたリンゴ」というセリフ。老人の捜索隊がでて騒ぎとなり、家の中に閉じこもっていた彼を妻のカテリーナが迎えに行く場面でも、この言葉がつぶやかれる。このときはおそらくロシア語でいわれているためか、字幕はカタカナで「シナビタリンゴ」となっていた。この突然のカタカナを、「しなびたリンゴ」という意味だと理解できた人はあまり多くないのではないか。

ラストシーンは、何度見てもどうやって撮ったのかよくわからない。浮桟橋のほうが沖に流れていっているのか、それともキャメラが後退しているだけなのか。気がつくともう遥か遠くに見えているという感じが実に素晴らしい。