「アムステルダム国立美術館展」を最終日に滑り込みで見に行く。例によってぎりぎりまでのばしてしまったので、最悪のコンディションで見ることになってしまった。ものすごい人混みでまともに見られなかった。フェルメールの「恋文」も、近くで警備員が「ゆっくりと進んでください」とせかすので、落ち着いてみられなかった。しかし、一昨年の神戸みたいに、たった一枚のフェルメールを近くで見るために長時間ならんで待たなければならないということはなかったので、あれに比べればまだましだ。
フェルメールとレンブラント以外はたいしたものは着ていないのかと思ったが、意外と充実していたのではないか。前日に本の複製で見ていたライスダールの風景画が出品されていたのには驚いた。フェルメールの向かいの壁に展示してあるピーテル・デ・ホーホの絵も傑作だった。
アブラハム・ミニョンなどの花の絵によく描かれている蝸牛にはなにかの意味があるのか。これにも〈ヴァニタス〉の意味が? 造花のように作り物めいて見えるほど美しい花。
心を引かれる絵には、見ているうちにその中にはいってしまいたくなる。写真を見ているときも、ときどきそういう気持ちになる。しかし、映画を見ているときに、このフレームのなかにはいってしまいたいと思うことは皆無だと言っていい。見ているときにこの場所に行ってみたいと思うことはあるが、それとはまったく別の衝動だ。