明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。


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神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

ライブドアについて


あるお話。


ある金持ちの男が道を歩いていると、道ばたに寝転がっている男がいた。興味を持った金持ちが寝ている男にたずねた。

──きみはそんなところでなにをしているんだい?

──見りゃわかるだろ。寝てるのさ。

──それはわかってるよ。でも、どうして働かないんだね?

──働く? 働いてどうするんだい?

──働いて金を稼ぐのさ。

──なんのために?

──金があれば、その金で好きなものを変えるじゃないか。服や、車や、家だって手にはいるだろ。

──それで? そのあとは?

──もっと稼げば、働かないで一生遊んで暮らせるようになるだろ。

──だからいまそうしてるんじゃないか。


ライブドアをめぐる一連の報道を見ながら、ついこの話を思い出してしまった。このエピソードはたしかロッセリーニの『自伝に近く』に出てきたと思うのだが、手元にないので確認できない。細かいところは違うかもしれないがだいたいこんな話だったと思う。金儲けのむなしさを端的に表現したエピソードだ。

いまの時代、あるのはただ雇用(仕事口) emploi だけで、労働 travail は存在しない、と最近よくゴダールは口にする。Travail が労働者の手と切り離すことができず、その手によって作品(それがマッチ箱であれ映画であれ)を生み出すことであるとすれば(ゴダールは労働をメタモルフォーズという言葉でしばしば形容する)、Emploi において労働者は作品を生み出すことはなく、そこにはただ金銭の授受があるだけだ。

ライブドアはいったいなにを生産していたのか、生産しようと思っていたのか。わたしにはそれがよくわからない。

とはいえ、個人的にはあまり好きでないホリエモンだが、今回の家宅捜査には、なんだかいやなものを感じる。わたしは金持ちは嫌いだが、権力と関わりのあるものはすべてそれに輪をかけて嫌いなのだ。