明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。


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神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

ポール・ボウルズ『蜘蛛の家』


デンマークの新聞にムハンマドを揶揄した風刺画が発表されたことがイスラム社会の反発を招き、ますます波紋を広げている。この風刺画自体は昨年の9月に発表されたものだというから、今回の騒動の直接の引き金となったのは、その風刺画がフランスなどのヨーロッパ諸国の一部のメディアに転載されたことにあるようだ。例によって、欧米メディアはイスラム社会の反発に対して、言論の自由を盾にして対決する姿勢をみせている。デンマークも政府レベルではいまだ謝罪していない。

「またか」というのが、この報道を最初に目にしたときの率直な感想だった。いろんな意見はあるだろうが、結局、イスラムに対する欧米諸国の無知と偏見が問題の背景にあることは間違いない。ムスリムの紋切り型のイメージを今更見せられたところで、なんの発見もないわけだから、これは無意味な挑発以外のなにものでもないだろう。

ちょうどこの事件が話題になり始めたころ、ポール・ボウルズの最高傑作といわれる『蜘蛛の家』 "The Spder's House" を、翻訳が品切れで手に入らなかったので、英語の原書を手に入れて読んでいるところだったので、読みながらいちいち納得してしまうところが多々あった。ボウルズの小説は "Up above the world"(『世界の真上で』。これもいまは品切れ)をなぜかフランス語訳で読んだことがあるだけで、英語で読むのは初めてだ。仏訳でもだいたいわかったが、ボウルズの英語はかなり読みやすい。ただ、この小説にはアラビア語ベルベル語が頻出するので、そのへんはやっかいだ。もっとも、短い単語がときおり英語に混ぜて使われるだけなので、多くは前後関係から意味がある程度推測できるし、わからなくても大意を理解するのに差し障りはない。とはいえ、気になるのでそのへんは四方田犬彦の翻訳を参考にしながら読み進んだ。ごくたまに明らかに誤訳と思える部分もあるが(これぐらいはないものを探す方が難しいというレベル)、なかなか正確で美しい訳なので、翻訳が手に入る人はそちらで読んだほうがいいかもしれない。

この小説は、スタンバーグ『モロッコ』マイケル・カーティスの『カサブランカ』などで描かれる仏領モロッコの迷宮を思わせる古都フェズを舞台に、独立直前のモロッコの不安と混乱を、まさにこの時期そこに住んでいたボウルズがヴィヴィッドに描き出した作品だ。ちなみに、この作品に着手する直前、ボウルズはヴィスコンティの『夏の嵐』の脚本に参加していた。

この小説の主要な登場人物は3人いて、ひとりはボウルズを思わせるアメリカ人作家のステンハム。彼は長年フェズに住んでいて、その中世のままに残ったたたずまいをこよなく愛している。彼はボウルズと同じく短い間だがかつて共産党のシンパだったことがあり、そのことがいまの彼に深い影を落としている。もうひとりは、フェズに住む敬虔なムスリムの少年アマール。彼はアラーに対する強い信仰を抱いており、フランス軍が町からいなくなることを願っているが、同時に、武力的な独立闘争を展開する民族主義者たち(イスティクラル党)の卑俗な進歩主義にはどうしても同調することができない(ステンハムはイスティクラル党と共産党は同じ穴の狢だと喝破する)。そして残るもうひとりは、フェズにやってきた謎のアメリカ女、リー・バロウズである。彼女は、進歩こそすべてという単純な信念から、わけもわからずイスティクラル党を支持し、ことあるごとにステンハムと対立する。

たとえば、米軍の空爆後のアフガニスタンで、ベールをかぶらない女性の姿を映した映像を見せ、自由が勝利した、アフガンの女性は進歩したなどと簡単に言いきって平然としている人間が少なくない。どうしてそれが進歩だといえるのか。進歩することははたしていつもいつも望ましいことなのか。こうした疑念は彼らの頭には浮かばないらしい。決して馬鹿ではないのだが、リー・バロウズ四方田犬彦によるとこの名前は『裸のランチ』のあのバロウズからとられているそうだ)は、結局そういう女として描かれている。デンマークの風刺画家にもそういうおごりが感じられてしかたがない。今回は、「表現の自由」に介入はできないという政府の(それ自体は正当だが)杓子定規な対応もまずかった。もっと大局を見て柔軟に対応できないものかね。

モニターが壊れていて更新できなかったあいだに見たミシェル・クレイフィの『ルート181:パレスチナーイスラエル 旅の断章』を見に行ったときも、この本を読んでいたのだが、この映画についてはまたいずれ。