京都市立博物館に並木鏡太郎の『樋口一葉』を見に行く。ふだんは入場券を買いさえすれば入れるのだが、今回は特別企画なので、あらかじめはがきを持っている人だけしか入れないと受付でいわれる。しかし、上映開始ぎりぎりになってまだ空席があれば見られるとのことなので、ぎりぎりまで待ってみる。なんのことはない、空席だらけだった。
上映前に、並木鏡太郎のことをよく知る山際永三氏のお話。半分以上は、「映画の本(哲学篇・小説篇)」で紹介した内藤誠の『シネマと銃口と怪人』で知っている話だったので、居眠りしてしまう。というか、この人、この本を見せて宣伝していました。
この本にも詳しく書かれているように、綿密な時代考証によって再現された明治時代のセットが魅力的。セットに愛があります。一葉の生涯(といっても、死ぬところまで描いているわけではない。続編の予定もあったという)に、『たけくらべ』『大つごもり』などの作品のエピソードを交えて脚本化したもの。『たけくらべ』の美登利役の高峰秀子が初々しい着物姿で登場したときは、会場から「おぉー、かわいい」というどよめきが起きた。彼女がいよいよ芸者となるとき、お歯黒どぶ川の「はね橋」(中世のお城の堀に架ける橋のミニチュア版みたいなもので、ひもをキリキリと引っ張って上下させるんです。これがいい)を渡って塀の向こうに消えると、キャメラが右にパンし、別世界のような吉原の遊郭の豪奢な建物を映し出す場面など、思わず息をのむ美しさだ。
しかし、こういう映画作りはもはや不可能となりつつある。日本アカデミー賞では、全編CGで昭和30年代を再現した映画がグランプリを獲得した。CGによって、過去を描く際の「本当らしさ」はますます高まっていくのだろうが、映像の持つ存在感はますます希薄になってゆく。
ところで、最近、ちくま文庫から『樋口一葉小説集』というのが出た。一葉の本はいろんなところから出ているが、小説の代表作が一冊にほぼ収まっていて、資料も充実しているので、わたしは文庫本ではこれが決定版だと思っている。樋口一葉はお札にもなるぐらい有名だが、実際に読んでいる人は少ないのではないだろうか。言文一致していない独特のエクリチュールは、たしかに慣れないと読みづらい。一葉は読点をほとんど使わないので、ひとつのセンテンスが2ページ近く続くのもごくふつうだ。その間に主語がコロコロ変わったりするので、最初は戸惑う。なれさえすればそう難しくないのだが、どうしてもなじめない人は最初は現代語訳で読んだほうがいいかもしれない。
現代語訳もいろいろあるのだが、わたしのおすすめは河出文庫から出ているものだ。なにしろ訳者の顔ぶれがすごい。松浦理英子、藤沢周、阿部和重、伊藤比呂美、島田雅彦、多和田葉子などなどが一葉を現代語訳しているのだ。それぞれの訳者が巻末に書いている解説もなかなか面白い。とはいえ、あくまで現代語訳は現代語訳だ。最終的にはぜひ原文に当たってほしい。