明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。





























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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

青山真治『すでに老いた彼女のすべてについて語らぬために』


昨日は、ジャン=ミシェル・フロドンの文章の日本語訳を半分まで読んだ時点で書いたのだが、後半の訳もぐだぐだだった。それでも、『フィルム・ノワールの時代』の細川晋の訳よりは全然ましだったが・・・(サイト「映画の誘惑」を参照)。

ま、こんな話を続けてもしようがないので、今日は別の話をしよう。京都造形芸術大学吉田喜重作品と抱き合わせで上映された青山真治の『すでに老いた彼女のすべてについて語らぬために』についてである。2001年にDVで撮られた作品だ。わたしは映画作家フィルモグラフィーをあまり丹念にチェックしたりしないので、青山真治がこんな作品を撮っていたことは、今回初めて知った。相変わらずの勉強不足である。

『エリ・エリ』など、最近の青山作品をどうも物足りないと思っているわたしには、5年ほど前に撮られたこの商品はすごく新鮮に映った。巨大な凧のようなグライダーが空に舞い上がってゆくイメージに、豊川悦司(?)が朗読する中野重治のテキスト(『五勺の酒』)が重ね合わされる冒頭のシーンからぐいぐい引き込まれる。ひさしぶりに青山真治の才能を感じることができた一本だった。

内容を要約するのは非常に難しいが、一言で言うなら、スガ秀実渡部直己らによる天皇をめぐるテクストと、『ゴダールの映画史』、この二つから強烈にインスパイアされて撮られたドキュメンタリー風エッセイ映画とでも説明できるだろうか。作中で引用される、「辛よ さよなら/金よ さよなら」で始まり、「君らは雨にぬれて君らを追う日本の天皇を思い出す/君らは雨にぬれて 彼の髪の毛 彼の狭い額 彼の眼鏡/彼の髭 彼の醜い背中を思い出す」と天皇を歌い、「彼の胸元に刃物を突き刺し/返り血を浴びて/温もりある復讐の歓喜のなかに泣き笑え」と結ばれる中野重治の詩「雨の降る品川駅で」も、渡部直己『不敬文学論序説』からそのまま引用したものだろう(「Fu Kei Cinema」という字幕も作中何度か挿入される)。

前半では、天皇の姿を写した写真や記録映像、あるいは冒頭の飛行機に続いて、高速道路の映像や水面の照り返しが複雑な模様を投げかけている港に係留されたボートのイメージなどに重ねて中野重治のテクストが読み上げられ、後半では、同時代に書かれた夏目漱石のテクストに大逆事件の痕跡が不在であることが、修善寺の大患をめぐって書かれた『思い出すことなど』の引用を通して検証される。

他方で、幸徳秋水以上に、大逆事件の女テロリスト菅野須賀子がクローズアップされ、「terrorist」 の字幕から 「eros」だけが残されるという、言葉遊びが行われる。作品のタイトルはおそらくベルイマンの映画『この女たちのすべてを語らないために』をもじったものだろうが、ここでの「彼女」とは「天皇」でもあり「母」のことでもある。そこには、この国においては天皇が表象の対象としては常に回避されてきたことだけでなく、「母」もまたタブーであったことが含意されている。

terrorist → eros の言葉遊びもそうなのだが、ホークスの『脱出』のウォルター・ブレナンの台詞のサウンドトラックや、字幕で挿入されるエルロイのミステリーのタイトルの引用など、ゴダール「映画史」を想起させる手法が多用されている。そもそも、英語によるタイトルが銃声とともに撃ち抜かれるように消えていくオープニングからして、ゴダールの模倣である。サンバイザーをかぶった男がタイプライターならぬワープロを打っているイメージなど、あまりにもあからさますぎて、パロディをもくろんでいるのかとも思ったりするのだが、そういうわけでもないようだ。わたしは、『冷たい血』のなかでメルヴィルフィッツジェラルドシェイクスピアの超有名な一説が引用される場面で、なにか恥ずかしいものを見たような気になったことを思い出す。こういうことができるのは大馬鹿者かよほどの自信家だろう、と。

なんの説明もなしに挿入される「1972」「1995」「2001」といった年号が、現在に穴をうがち、歴史の断層を不意に浮かび上がらせる。72年は浅間山荘事件(あるいは沖縄返還?)、95年は地下鉄サリン事件を指しているのであろう)。2001年はむろん、作品が撮られた現在を指す。

やがて、唐突に、成瀬巳喜男相米慎二大島渚などなどの日本の映画作家の写真が次々と並べられてゆく場面が続き、作品はゴダール「映画史」に対する日本の映画作家からの返信といった趣を呈してくる。ゴダール「映画史」の余白に書き込む試み、といったところか。

影響の受け方が8ミリ時代の黒沢清万田邦敏の作品(万田は病院の廊下でキャメラに向かって語りかける男の役でこの映画に出演している)を思わせ、ほほえましいが、すでに『ユリイカ』を撮っている人間がこんなことをやっていていいのかという気もする。

わたしには消化しきれない部分も多々あるが、いずれにしても、ぐいぐいと観客を引き込んでいくイメージの喚起力はすごい。やはり青山真治は侮れないとひさしぶりに思った作品だった。