最近はマンガばっかり読んでいる。こんなにマンガを読むのは学生時代以来だ。あのころは、コンビニで週刊マンガの連載を立ち読みするなど日常茶飯事だったが、90年代に入ってからばったり読まなくなってしまった。たしか、フランスに留学したのがきっかけだったような気がする。むこうに住んでいるあいだは日本のマンガに飢えていて、テレビで放映される「ドラゴンボール」や「ベルサイユのばら」「めぞん一刻」のフランス語吹き替えアニメまで熱心に見ていたものだ。今は事情が違うのかもしれないが、当時のフランスでは、書店で子供向けのマンガと大人向けのマンガのコーナーが截然と分かれていた。子供向けのマンガは幼稚すぎてフランス語の学習目的以外に読む気がせず、逆に大人向けのマンガはアーティスティックすぎて面白味に欠けるものばかりだった。子供と大人という境界が良くも悪くも消えてしまっているという、ある意味異常な現象は日本のマンガだけにおこっていることで、外側から見るとかなり奇妙に見える。日本では電車のなかでサラリーマンが「少年ジャンプ」などを読んでいる光景をとき折り目にするが、これはフランスではあり得ない光景だ(繰り返すが、今はどうなっているか知らない)。
そんなわけで、フランスのマンガは代用にならず、日本のマンガへの渇望は次第に大きくなっていったのだが、日本に帰ってくると、急にマンガに対する興味が薄れてしまっていることに気づいた。理由はいまだにわからないが、とにかくそのころからあまり読まなくなっていた。だから、90年代以後に登場したマンガは、あまりよく知らない。松本大洋のマンガとか岩田明の「寄生獣」など、ときおりはまるマンガもあるにはあったが、たいてい単発に終わるだけで、マンガに入れ込むことはなかった。しかし、今回、集中して読んでみてわかったのだが、最近のマンガには非常に水準が高いものが少なくない。
今読んでいるのは井上雄彦の「バガボンド」というマンガだ。吉川英治の原作をもとに宮本武蔵を描いた時代劇である。基本的な物語は映画などでおなじみのとおりのものなのだが、人物の設定が微妙に変えてあっておもしろい。たとえば、稲垣浩版でも内田吐夢版でも、女遊びに明け暮れて剣術を忘れてしまった人間として描かれる吉岡清十郎が、剣の天才である美少年として描かれていたり、鎖鎌使いの宍戸梅軒が、むかし因縁のあった男、辻風黄平が名を変えた姿だったりと、原作にはないひねりが加えてある(もっとも、わたしは原作は読んだことがなく、映画から得た知識しかないのだが)。とりわけ、佐々木小次郎を耳が聞こえず、口もきけない男として描くというアイデアには驚かされた。絵もものすごくうまい。
22巻まで読んだところだが、まだ一乗寺の決闘さえ終わっていない。いつ終わる事やら。