大阪シネ・ヌーヴォで開催されている Edge in Osaka に、ジャン=ピエール・ゴランの『ポトとカベンゴ』を見に行く。ジガ・ヴェルトフ集団時代のゴダールとの共闘で知られるゴランが、ゴダールと別れてひとりアメリカに渡り、そこで撮ったドキュメンタリー映画だ。あまり期待はしていなかったのだが、意外とおもしろかった。ただし、それは映画がおもしろかったというよりも、内容がおもしろかったといったほうが正確だろう。
1977年、アメリカで幼い双子の姉妹がマスコミの話題をさらう。彼女たちが、周りのだれにも理解できない、何語ともわからない不思議な言葉でコミュニケーションを取り合っていることが、マスメディアの格好の対象となったのだった。ふたりの名前はポトとカベンゴという。しかし、この名前も彼女たちが勝手に互いにつけあったもので、本名ではない。ふたりは、あらゆるものや出来事を、ふたりだけにしか通じない言語で名付け、伝えあっているようなのだ。見ているあいだに「鏡の言葉」というフレーズが自然に浮かんできた。象徴としての言語を獲得する以前の、鏡像段階の言葉。
いい獲物を見つけたとばかりに、連日新聞やテレビの取材がはいり、この一家はたちまち有名になる。様々な学者たちがテレビに出て、姉妹の「症状」を分析してゆく。やがてわかってきたことは、ふたりが不可思議な言葉を使い始めた背景には、家庭環境が大きく関係していたらしいということだ。詳細は忘れたが、たしか、ドイツ人の母親がアメリカ人の父親と知り合って、ふたりが生まれたのだが、知恵遅れの可能性があると医者にいわれた両親は、ふたりを学校にも行かせずに、ほとんど家の中に閉じこめるような状態で育てることになる。一家が住むカリフォルニアの住宅では、ドイツ語以外は話せない祖母も同居しており、食卓では、ドイツ語や英語が入り交じったような言葉が飛び交い、双子の姉妹はそんな不正確な言葉を聞きながら育ってゆく。
そんな特殊な状況のなかで育てられたため、彼女たちは独自の言葉を創造することになった、というわけだ。しかし、メディアに取りあげられて一躍有名になってしまったため、連日知らない人たちに質問を受けるうち、外の世界の「正常な言語」を学んでいったふたりは、やがて言語的に「正常化」してゆく。ゴランが彼女たちのもとを訪れたのは、そんなふうにしてふたりの特殊な言葉が消えようとしていた頃だった。とはいえ、まだまだふつうの英語とは言えない言葉を話す彼女たちを連れて、ゴランは動物園や図書館に出かけてゆく。それまで外の世界にふれることがほとんどなかった彼女たちは、ふつうの子供以上に狂気のような好奇心に突き動かされ、キャメラなどお構いなしに走り回り、一瞬たりとも同じところにとどまっていない。このあたりのシーンには不思議な幸福感があって、あまり子供好きでもないわたしでもついほほえんでしまう。
しかし『不思議の国のアリス』(この場合は『鏡の国のアリス』のほうがふさわしいか)のMad Tea Party のような狂騒状態は、そう長くはつづかない。ふたりが「正常化」してゆくにつれマスコミの熱も冷めてゆく。有名人になったために舞い上がってしまい、リッチな家に引っ越した両親は、やがて家賃も払えなくなる。学習に遅れが見え始めていた妹は、専門の施設に入れられ、姉と別れ別れになる。
アリスが現実の世界に戻ってしまったような一抹の寂しさはあるが、ふたりがふつうの言葉を話せるようになったことはよかったと思うし、正しいことでもあると思う。詩が失われ、散文があらわれる。それは仕方がないことだ。しかし、それを描くゴランの側に、言葉以前のなにものかに対する畏怖の念にも似た感性が決定的に欠けていることが問題だと思う。「名前の前にはなにが?」と問いかける Prenom: Carmen のゴダールにはたしかにそれがあった。
解説によると、ゴランはこのふたりの関係に、自分とゴダールとの関係を重ね合わせているとのことだ。たしかに、ジガ・ヴェルトフ集団時代のふたりが撮る映画のなかで聞こえてくる言葉は、ふつうの人たちには宇宙人の言葉と聞こえたかもしれない。しかし、わたしにはそういう解釈は少し眉唾めいて聞こえる。それよりも、このころゴダールがミエヴィルといっしょに『ふたりの子供によるフランス漫遊記』という子供映画を撮っていたことをゴランが知っていたのかどうかに興味がある。ある意味、これは『ふたりの子供によるアメリカ漫遊記』と呼んでもいい作品であるからだ。
音楽はグレン・グールド演奏によるモーツァルト「幻想曲」。