先日、京都の日独文化センターで行われているイメージフォーラム・フェスティバルに行ってきた。本当は大阪シネ・ヌーヴォで上映される『Celebrate CINEMA 101』を見に行く予定だったのだが、イメージフォーラム・フェスティバルでアピチャポン・ウィーラセタクンの『ワールドリー・デザイアーズ』が上映されることを前日に知って、あっさり予定変更して見に行ったのだった。同じプログラムで上映された短編2本も見た。
▽サラ・マイルズ『No Place』★★
女優のサラ・マイルズと同じ名前(たぶん別人)。
都会に渦巻く孤独を水晶玉でのぞき見たような短編。シンディ・シャーマンの死と孤独に彩られた写真の世界を映像にしたような作品ともいえる。『オズの魔法使』 のドロシーや、『めまい』のキム・ノヴァク、『リング』の貞子などをモチーフに織り交ぜて使っているのが印象的。まあまあ。
▽デイマンタス・ナルケヴィチュス『いなかもの』★☆
NHKの「名曲の調べ」のような作品。よくわからない。
▽アピチャポン・ウィーラセタクン『ワールドリー・デザイアーズ』★★★
アピチャポンはフランスなどではもう相当有名になっているタイの映画作家だが、日本ではまだまだ知名度は低い。そのせいか名前の表記が定まっていない。ネットで調べると、「ウェラセタクン」とか「ヴェラセタクル」とか、いろんな書き方がされているようだ。イメージフォーラムのチラシでは、「ウィラーセタクン」となっている。Weerasethakul という綴りだけ見れば、「ウィラーセタクン」はおかしいと思うのだが*1。
「worldly desires」とは、直訳すると「俗世の欲望」のことで、「物欲」を意味する仏教用語の英訳らしい。軽やかな音楽が流れるなか、夜の暗いジャングルを通って白いドレスを身にまとった女が幽霊のように歩いてくるのが、鬱蒼と生い茂る木々を通して見える。突然、画面の奥がライトアップされ、先ほどの女が音楽に合わせて歌い踊り始める。それは愛と幸福を願う女の歌だ。どうやらCMかなにかの撮影らしい。歌手の前にはキャメラが据えられ、スタッフもいるらしいのが、かろうじて見える。その全体をずっと引いた位置にあるもうひとつのキャメラがフィックスで淡々とらえつづける。
次に、昼の場面に変わると、なにやらワケありの男女が、やはりジャングルのなかを何者かから逃げるように足早に歩いている。画面全体にキャメラのファインダーの照準が映し出されていて、何者かがふたりの逃避行をキャメラでのぞき見ていることを予想させる。やがて「カット」という声がはいり、これがTVかなにかのソープ・オペラの撮影であることがわかる。
こんなふうに始まった映画は、昼の物語=ドラマ撮影と、夜の歌=CM撮影が、交互に繰り返されるかたちで進んでゆく。その様子全体を、遠くからもうひとつのキャメラがとらえつづけている、というのがこの映画の構造になっている。夜の場面と昼の場面がこうして淡々と反復されてゆくのだが、やがて最後に夜の歌が昼の場面へと流れ込むところでこの作品は終わっている。
ドラマの撮影もCM撮影もたぶんこの映画のために行われたものだとすれば、これはドキュメンタリーとはいいがたい。しかし、フィクションと呼ぶのもためらわれる作品だ。『真昼の不思議な物体』とこれしかまだ見ていないので、まだこの監督のことはよくわかっていないのだが、その上でいうなら、この作者にとってジャングルという場所そのものが、ドキュメンタリーとフィクションの境界を曖昧にしてしまうものとして存在しているような気がする。
ドラマのなかでは「聖なる木」を求めてジャングルをさまよう男女の物語が描かれ、撮影スタッフのひとりは、森の魔物の話をする。しかし、そうした小さな物語はどこにも行き着くことなく、常に遠くにおかれたキャメラが映し出す人間たちの営みはやがて背景に遠のき、ジャングルの圧倒的なプレザンスだけを残して映画は終わる。
興味深い映画ではあるが、たぶんこれはウィラーセタクルとしてはマイナーな作品にはいるのだろう。正直、雨のなか京都までわざわざ出向くほどのものでもなかったかなという気がしないでもない。『Blissfuly Yours』と『Tropical Malady』が早く見てみたい。
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アピチャポンの『真昼の不思議な物体』については、わたしのホームページに以前紹介したときの文章を参考にしてください。
http://www7.plala.or.jp/cine_journal/review/postfiction.html