大江健三郎の『取り替え子 チェンジリング』を今ごろになって読み始める。
150ページほど読み進めたが、タイトルの意味はいまだわからず。第三章「テロルと通風」にいたってようやく物語の核心に近づく気配。
義兄である伊丹十三の自殺をモチーフに書かれたモデル小説ということで話題になった作品だが、これほどあからさまだと、「モデル小説」と呼ぶのもなんだかためらわれる。
「イタリアの映画祭で賞を得たコメディアン出身の監督」(25p)、「義和団の乱を西側の正当化を企てながら撮ったハリウッド映画」(82p)、「才能ある若い監督を起用して、かれのプロダクションで映画を作った」(117p)
などというぐあいに(これがそれぞれ、北野武、ニコラス・レイの『北京の55日』、黒沢清の『スウィートホーム』をさしているのは明らか)、固有名詞だけが避けられるかたちで、ほとんどなんの脚色も施さずに実在の人物が話題となっているのだが、大江自身の小説『政治少年死す』は『政治少年の死』として、わずかにタイトルを変えて登場する(それとも、これが元のタイトルだったのか)。
そういう実在の人物をモデルとした細部を有しながら、全体としては大江的フィクションの世界を完全に作り上げているところが、なんとも不思議な気持ちにさせる。