今年のカンヌのパルム・ドールはケン・ローチ作品に決まったとのこと。
話変わって、パリのポンピドゥ・センターで、今、ゴダール自身による展覧会が行われている。展覧会といったが、その内容はどの記事を読んでもよくわからない。会場入り口には、「見せることができるものは、語ることができない」というゴダールのなぞめいた言葉が掲げられているという。
開催までに長い時間と紆余曲折があったことも、この展覧会の話題を高めているようだ。この企画は最初、"Collage(s) de France, archéologie du cinéma d'après JLG"(「(複数の)コラージュ・ド・フランス、JLGによる映画のアルケオロジー」というタイトルで進められていたのだが、それが artistique な困難のため実現不可能となり、かわりに、Voyage (s) en utopie という新たな企画として、ようやく開催にこぎ着けたということらしい。
「コラージュ・ド・フランス」というのは、当初、ゴダールが、パリにあるフランスの高等教育機関コレージュ・ドフランスで行おうと企てていた講義の名前だった。蓮實重彦いうところの、「コレージュ・ド・フランスの教授の椅子をねらっている」ゴダールがこの講義でなにを教えようとしていたのか定かではないが、それは映画の歴史と20世紀の歴史とをコラージュする企てであったようだ。
一方で、この「コラージュ・ド・フランス」という企画は、リール近くのル・フレノワ(のメディアセンター?)で行われる準備が進められていたとの情報もあり、この辺の細かい経緯は、だれかが年表にでもしてくれなければわからない。とにかく、ポンピドゥ・センターの企画は最初、「コラージュ・ド・フランス」と呼ばれていたのだが、それが挫折したことだけはわかっている。ポンピドゥ・センターでゴダール展を行うという企画は、ドミニク・パイーニ氏がゴダールに強く働きかけて、2003年に動き出したものだということだ。ゴダールとパイーニは3年かけてこの企画を準備してきたわけだが、今年2006年の1月になって、突如、ふたりの共同関係は終わりを告げ、4月24日に開催予定だった展覧会は、5月11に延期され、上述のようにタイトルも変更される。このあたりは、ジャン=ピエール・ゴランとゴダールとの決別のミニ・ドラマのようなものを想像しておけばいいのだろうか。ふたりのあいだにどういうやりとりがあったのかはわからないが、ゴダールが例によって常識はずれの無理難題を突きつけたらしいことが推測される。「まったくむだな三年だった」と語るパイーニの無念な気持ちはよくわかる。しかし、ゴダールという宇宙人とつきあうには、これぐらいのことは覚悟しなければならない。
さて、そのパイーニがいうには、ポンピドゥ・センターでの「コラージュ・ド・フランス」の企画で、ゴダールは9ヶ月のあいだに月一で映画を上映するつもりだったという。「一週間かけてイマージュを集め、二週間でモンタージュし、四週目で上映する」という言葉から見て、一ヶ月ごとに新しい短編映画を作って発表する予定だったらしい。2005年には、ゴダールが九つのホールよりなる展示会場の模型を作り、これを拡大するかたちで企画を進めようとしたらしいが、パイーニとの話し合いがつかず、結局決別するかたちになったようだ。この「九」という数字が鍵になりそうな気もする。
その九つのホールが「コラージュされ」、あるホールでは映画の考古学的オブジェとショーペンハウアー、カール・クラウス、ジョルジュ・バタイユなどの書物が空間のなかで融合されたり、ホールからホールへと電車が走ったり、大小のスクリーンに映し出されるイマージュを植物が取り囲んでいたりと、そのまま完成すれば大変なことになる予定だったらしい。
しかし、この当初の企画は、先にいったように挫折する。今、ポンピドゥ・センターで行われている Voyage (s) en utopie では、会場は大きく三つに分けられ、そのそれぞれがただ、「一昨日」「昨日」「今日」とだけ名付けられ、ほかにはなんの矢印も説明もないという。また、この企画のためにゴダールが撮りあげた短編映画「 Vrai faux passeport」も上映されるということだ。この作品は、様々な映画やテレビ番組の断片が、例のゴダール的字幕を伴って、「神」「拷問」「自由」「幼年期」「奇跡」「エロス」などといったテーマをめぐって、モンタージュされたものらしい。
この展覧会全体が、スクリーンを伴わない映画のようなものだということだ。しかし、結局、見てみないとわからない。とはいえ、フランスはあまりに遠し。なんだか、書いていてむなしくなってきた。
まあ、このブログの趣旨は、こういう孤独な話題を孤独に取りあげてゆくことにあるので、このむなしさには今後も耐えていかなければならないだろう。頑張れ。