明るい部屋:映画についての覚書

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

成瀬巳喜男『君と別れて』『夜ごとの夢』


成瀬巳喜男『君と別れて』(33)★★★
     『夜ごとの夢』(33)★★★


同志社大学 寒梅館ハーディホールにて。

『君と別れて』は成瀬のサイレント時代の代表作に数えられる作品。松竹蒲田の撮影所長の城戸四郎に「小津は二人いらない」といわれたのはこの前年。逆に、その小津安二郎の二番煎じの作品がどんなものだったのか見てみたい。実際、この作品を見ると、後年の成瀬ワールドはほぼできあがりつつあるように思えるからだ。

遠くに港が見える橋を、吉川満子と水久保澄子が歩いて渡るところをやや遠く離れた場所からとらえたロングショット。ここでふたりはきっと立ち止まるぞ、と思いながら見ていると、案の定ふたりが橋の真ん中まで来たところで立ち止まるのを見て、思わず感動する。そこでいささか深刻なやりとりが交わされるのだが、成瀬はその一連のカッティングのなかで水久保澄子に振り返る演技までさせている。成瀬的としかいいようのない場面だ。

この時期の成瀬作品には、突貫小僧(青木富雄)がほぼ常連に近い形で出演している。この作品でも、水久保澄子が吉川満子の息子役の磯野秋雄を実家に連れて行く場面で、水久保の弟役として登場し、場内を爆笑させていた。父親のために買ってきた酒を坂道で転んで落としてしまうのだが、割れた瓶の欠片に残っていた酒を飲もうとするしぐさなど、演技指導したというよりも、ついそんなふうにしてしまったのをそのまま撮影したという自然さが、天然的な笑いを生み出しており、彼に関しては小津の映画に出ているときとあまり変わらない印象を受ける。

今回の上映は、柳下美恵(柳下毅一郎夫人)によるピアノ伴奏付のものだった。個人的には、サイレント映画を音楽付で見るのには多少抵抗感がある。ときに音楽が出しゃばって映画のじゃまをしているように思えることがあるのだ。この映画で、芸者をしている吉川満子が、自分のダンナが若い水久保澄子に色目を使い、自分を捨てようとしているのを感じ取って、刃物で刺そうとする場面で、最初カルメンのメロディーがピアノで聞こえてきたときはかなり違和感があった。しかし、この場面では、2階(隣の部屋だったかもしれない)で刃傷沙汰が起きている一方で、一階ではレコードにあわせてタンゴのコスチュームの踊り子が踊っている映像がカットバックされるのであり、成瀬はあきらかにこのシークエンスを音楽的に演出していることが、ピアノの伴奏があることで明瞭に感じ取ることができた。

ところで、水久保澄子の実家は、海が見える港にあり、彼女は二階の窓を開けて、そこから見える港を磯野に見せてやりさえるする。次の『夜ごとの夢』もまた港を舞台にした映画である。しかし、不思議なことに、わたしには成瀬の映画であまり海を見た記憶がない。小津の映画に出てくる海の場面ならいくつも思い出せるのだが、成瀬の場合、海といっても『秋立ちぬ』の東京湾のように、非常に殺風景な海のイメージだけが記憶に残っている。あるいは、『女の中にいる他人』のラストにあらわれる海も、叙情性とはほど遠いものだった。『君と別れて』では、海辺の岩場で、水久保澄子が磯野秋雄に愛の告白のようなものをするのだが、成瀬の映画では、この程度のロマンティックな場面でさえ、めずらしいものに思える。成瀬的世界においては、海よりも川や湖のほうが特権的存在としてあるのかもしれない。


『夜ごとの夢』は、『君と別れて』と同じ年に撮られており、似たようなテクニックが見られる。エモーショナルな場面でのキャメラの急激な前進移動は、『君と別れて』でも散見された技法だ。『夜ごとの夢』では鏡を使った演出が特に印象的である。子供の交通事故の知らせ(宿の夫婦のセリフがテーブルから落ちるおもちゃの車とカッティングされる)を聞いた栗島すみ子が、おそらくはカフェの常連の坂本武に身を任せることを心のなかで決意する場面で、部屋の壁に下を見下ろすように斜めに立てかけられた鏡で自分の顔を見るとき。あるいは、子供の入院費のために強盗を働いた斎藤達雄が家に帰ってきたとき、2階へと続く階段を上がりきった正面にある鏡で自分の顔を見、そこの流しで負傷した腕を洗う場面。

カフェで栗島すみ子が坂本武に言い寄られているところへ斎藤達雄が来て、彼女を連れ出す場面では、海にむかって二人を互い違いに並んで歩かせながら振り返らせている。完全に成瀬的な演出といっていい。

仕事の見つからない斎藤達雄が子供たちと野球をして遊ぶ、土管の転がっている空き地の光景は小津の初期作品を思い出させる。『君と別れて』同様に、この映画でも貧しさ故の悲劇が描かれるのだが、そのときよく用いられるアイテムが穴の開いた靴下である。『君と別れて』では、磯野秋雄の穴の開いた靴下を見た突貫小僧が、穴から飛び出した指先を墨で黒く塗ってカモフラージュしてやる場面が出てくる。『夜ごとの夢』の斎藤達雄の場合、靴下だけでなく、靴の底に穴が開いてしまっている。ここでも、彼の子供がキャラメルの箱でその穴をふさいでやるのだが、そのとき明治の商標がアップで挿入される。『君と別れて』では、水久保澄子が磯野秋雄と列車(車両がひとつの地方線のようなものだと思う)で実家にむかうとき、明治のチョコレートを食べる場面が出てくる。実は成瀬は、この前年にも、水久保澄子主演で『チョコレートガール』という明治製菓とのタイアップ作品を撮っているのだ。