あまり書いている時間がないので、メモふうに(ぜんぜんまとまってません)。
山根貞男は、72年以降に、東宝のスクリーンに「異種の血」が大量に流れ込んでくることを指摘している。「異種の血」とは、要するに、非東宝のスターや監督たちのことだ。具体的には、勝プロによる「座頭市」「子連れ狼」シリーズ、石原プロによる「影狩り」シリーズなど、この年に東宝系で公開され始めた作品のことが指されている。山根は、60年代末から始まっていた東宝の(というよりも日本映画界全体の)転換期の危機が、この「異種の血」の混入によってよりいっそう明々白々になったと考える。そして、これらの作品がすべて活劇であることに注目し、この活劇は転換期の危機感がエネルギーとして噴出したものであると論じる。
山根はこれらの作品を「東宝ニューアクション」と名付けている。その代表的傑作としてあげられているのが、西村潔『豹は走った』(70)、福田純『野獣都市』(70)である。そしてもうひとり、山根が大きく取りあげているのが小谷承靖の『ゴキブリ刑事』『ザ・ゴキブリ』(73)だ。
藤田敏八の『修羅雪姫』は、実は、この『ザ・ゴキブリ』の併映作品として公開されたものだ。そして藤田も、主演の梶芽衣子も、やはり日活出身の「異種の血」である。『修羅雪姫』の撮影を担当しているのは、今では青山真治作品のキャメラマンとしても有名な田村正毅である。田村はそれまでずっと小川紳介のドキュメンタリーのキャメラを担当してきた。わたしの勘違いでなければ、『修羅雪姫』は田村にとって初めての劇映画だったはずである。ドキュメンタリー畑出身の田村がはいったことで、『修羅雪姫』はさらにハイブリッドな作品になったといっていい。
同じ梶芽衣子主演で伊藤俊也の「さそり」シリーズが撮られ始めたのは、この前年の72年である。伊藤俊也は東映の東京撮影所で労働争議をやってた、ばりばりの左翼知識人だそうだが、藤田敏八ははたしてどうだったのか。あくまで彼の映画から受ける印象にすぎないが、藤田の場合、そういう左翼の運動を距離を置いて冷めた目で見ていたような気がする。しかし、権力や権威に対する反骨精神は半端じゃなかったに違いない(これも単なる推測だが)。
この70年代初期というのは、60年代に盛り上がった学生運動が急速に勢いをなくし、大衆消費社会が完成する時期である。しかし、あのデモで爆発したエネルギーがすべて消えてしまったわけではない。行き場をなくしたエネルギーは、執念深く形を変えてあらわれようとする。それが「さそり」であり、「修羅雪」であるといっても、そう的はずれではないだろう。「大きな問題」を描く60年代的作品から、よりパーソナルな「復讐」や「怨み」といったものに物語の中心は移っている(その橋渡しを田村正毅がつとめているところが興味深い)が、そこにはやはり「大衆の無意識」が反映しているはずである。まだ見ていないが、第一作と同じく明治を背景に描かれる第二作の『修羅雪姫 怨み恋歌』では、もっと政治的なストーリーになっているようだ。
さて、わたしは今日、京都造形芸術大学に足立正生の『略称・連続射殺魔』を見に行ってきたのだが、ここにもまた時代の転換期があらわれている。それはたしかに、東宝の転換期とは別の物語なのだが、根っこのところではそう違っていないような気もする。とはいえ、今はこれ以上書く気力がないので、またの機会にしたい。