明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。





























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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

じゃんけんマンガ(?)の傑作『賭博黙示録カイジ』


テレビで江口洋介版『戦国自衛隊』をやっていたので見たのだが、とんでもない代物だったので書く気にもならない。だめ出しをすべき場所は数え切れない。しかし、最初の5分間で見る気をなくさせてしまうのは、結局、リアリティがないという一言に尽きる。自衛隊が戦国時代にタイムスリップするという設定がどうのこうのといっているのではない。かわぐちかいじ『ジパング』は同じような設定でありながら、そんな疑問すら起こさせないアクチュアルな作品になっている(映画じゃなくて、マンガですが。念のため)。

昨日、藤田敏八版『修羅雪姫』のことを書いたのだが、ネットの書き込みを見ているとこの映画は血がどばどばと噴き出しすぎて現実感がないという意見が結構多かった。そもそも君らは、目の前で人が刀で切られるところを一度でも見たことがあるのかといいたいが、それはともかく、フィクションのなかで成立するリアリティというのがわからない人が多いらしい。テレビの時代劇で切られても血が出ない方がよっぽど嘘くさいのだが、たとえ現実にはあんなに血が噴き出すことはありえないとしても、虚構の世界のなかでリアリティが成り立っていればそれでいいのである。そういう意味で『修羅雪姫』にはリアリティがたしかにあり、それは歴史によって裏打ちされているとさえ思う。『戦国自衛隊』にはそれが皆無なのだ。

こんなことは当たり前の話であり、また別に映画だけに限ったことでもなく、フィクションと名の付くものすべてに当てはまることである。しかし、それがわからない人がどうも多いらしいのだ。「あれは血ではなく、ペンキです」とゴダールがいったのは大昔の話だが、人はこのことをすぐに忘れてしまうらしい(もっとも、ストローブ=ユイレは『モーゼとアロン』を撮る際に、たしか近くの屠殺場から血をもらって運んだというエピソードをなにかで読んだことがある。これはこれでまたすごい)。これはただのペンキだと思いながら、一方で、その血に戦慄を覚える。これが正しい映画の見方というものだ。しかし、そういう大人の見方ができない観客が多いのである。

要は、大部分の観客は、ストーリーがあって、共感できる主人公がいるときにだけ、リアリティを感じるということだ。だから『NANA』のような映画が大ヒットするというわけだ。そりゃ『修羅雪姫』にくらべれば、『NANA』のほうが「現実らしさ」があるとはいえるだろうが、こんなくそみたいなリアリティをありがたがっている観客が多いのかと思うと、情けなくなる。最近ヒットした『下妻物語』はそれなりに楽しめた映画だったが、あれもキッチュな映像センスが受けたというよりも、主人公たちに共感した観客が多かったからに違いない(まあ、あんな主人公に共感できる今の日本の若者はすごいということもできるが)。両作品とも、対照的なヒロインをダブル主役にしているというのもみそだ。ひとりに共感できなくても、もうひとりにはできる、というせこい戦略である。

わたしが「フィクションのなかに成立するリアリティ」といっているのは、いかにも現実にありそうな「現実らしさ」のことでは全くない。現実に隠された可能性、ポテンシャルを引き出す力のことだ。防衛以外の戦闘が認められていない自衛隊を、太平洋戦争中の日本にタイムスリップさせる『ジパング』は、フィクションの力を非常にわかりすぎる形で示しているといっていい。


ところで、今日は本当はこんな話をするつもりではなかったのだ。福本伸行の『賭博黙示録カイジ』というマンガについて書こうと思っていたのだった。

福本伸行という漫画家を知ったのは、テレビでたまたま『アカギ』というアニメを見たからだ。アカギという天才麻雀師の型破りな麻雀人生を描いたマンガを原作にしたアニメで、そのサスペンスフルな展開にたちまち引き込まれ、ついつい最後まで見てしまったのだった。あとで調べてみたら、この漫画家は基本的に麻雀ものばかりを書いているらしいことがわかった。わたしが一番麻雀をしたのは小学生の頃で、今はほとんどまったくすることはない(冗談じゃなく、小学生の頃は、本物の麻雀パイをじゃらじゃらといわせてよく麻雀をやっていたものだ)。だから、細かい駒駆け引きはよくわからなかったりするのだが、それでも『アカギ』は十分楽しめた。しかし、麻雀がわかる人にはもっと楽しめるに違いないと思うと、残念である。

そこへいくと、『賭博黙示録カイジ』はだれにでも親しみやすい内容になっている。この作品も同じギャンブルを扱っているのだが、それは麻雀ではない。では何か? トランプ、花札、ルーレット? いやいや、違います。なんと、じゃんけんなんです。じゃんけんではたして賭が成立するのか。というか、そんなもんで長編のストーリーを支えきれるのか、と最初は思うのだが、これがとんでもないことになってゆくんです。

どん詰まりの人生を送っていた主人公がその他大勢といっしょに大型船に乗せられて、そこで生き残りを賭けたじゃんけん勝負をするところから物語は始まる。じゃんけんといっても、実際は、グーチョキパーの絵が描かれているカードを出し合って勝敗を決する形になっている。ただし、グーチョキパーのカードはそれぞれ4枚しかない。グーのカードを4回使い切ってしまえば、もうグーは使えなくなるというわけだ。最初に☆を三つ渡され、負けるたびに相手にその☆を奪われていく。途中経過に関係なく、最終的に☆三つを持っていれば生き残れる。勝っても負けても勝負が終わったらそのカードは廃棄しなければならない。そして制限時間4時間いっぱいのうちに、すべてのカードを使い切れなかった場合も負けになる。これがルールである。

独自ルールが物語を面白くするというパターンだ。『DEATH NOTE』もこのパターンなのだが、あれは少々やり過ぎの感がある。あまりにもルールの数が多すぎて、ほとんどルールを書くために物語を作っているんじゃないかという気さえしてくるぐらいだ。マンガで読むのならともかく、あれを映画で見せられてはたして面白くなるんだろうか。まあ、金子修介が監督なら、「それなり」以上でも以下でもない作品になっているんだろうが。それはともかく、ここでのルールは、あまりにも平凡すぎてゲームと呼ぶ気にさえなれないじゃんけんという遊びを、この上なく知的でかつ危険なゲームに変えてしまう。こうして、とんでもなく面白いじゃんけん賭博マンガが生まれたというわけだ。

最初アニメからはいったので、マンガのほうを読んだときは、絵が下手なことにちょっと驚いた。コマ割りも平凡で単調だ。しかし、マンガのおもしろさにとってそんなことはどうでもいいことである。このマンガは間違いなく面白い。だまされたと思って、一度読んでみてほしい。