明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。


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神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

映像のトラウマ〜ジョン・ファウルズのことなど

デブラ・パジェットが地下の洞窟をさまよっていると突然、地面にあいた深い穴に落ちてしまう。彼女はその暗い穴のなかでなにかを見て驚愕の表情を浮かべる。その瞬間、キャメラが切り返すと、何十人ものライ病患者たちがそこに立っていて、それがゾンビのようにこちらに迫ってくる。彼女は恐怖の叫びを上げる・・・

フリッツ・ラングの『大いなる神秘』のワン・シーンである。セルジュ・ダネーは、小さいころ見たこのシーンがトラウマになっていると、たしか「La rampe」のなかで書いていた。子供のころ見たその映画の内容はすっかり忘れているのに、そのシーンのことだけは忘れようと思っても忘れられない。それがときおり悪夢のようによみがえってくる。だれでもそんなシーンを一つや二つは抱えているものだ。ダネーの場合、それが、構図=逆構図というすぐれて映画的なショットの連鎖とともに記憶されていたというところが、この逸話を興味深いものにしている。

ごくごく平凡なものだが、わたしにもこういうトラウマ的映像がいくつかある。ひとつは、ヒッチコックの『見知らぬ乗客』で、殺人犯ロバート・ウォーカーファーリー・グレンジャーに殺人の濡れ衣を着せるための偽の証拠となるはずのライターを、道路脇の下水の穴に落としてしまう場面だ。下水のふたの隙間から必死で手を伸ばして取ろうとするのだが、どうしても届かなくて焦るロバート・ウォーカーの姿は、わたしにとって悪夢の典型のひとつとして繰り返しよみがえってくるイメージである。わたしは電車を使うときいつも、駅前にあるスーパーの職員専用駐輪場に自転車を駐めるのだが(ここだと屋根があって雨が降ってもぬれないんです)、そこでポケットから鍵束を出して自転車に鍵をかけるとき、ちょうど足下のところに下水のふたがあるのがいつも眼にはいる。そのたびに『見知らぬ乗客』を思い出すのだ。この映画のラストで、恐ろしいスピードで回転しはじめてぶっ倒れてしまうメリーゴーランドも悪夢的イメージとして焼き付いている。あれを見てしまうともうメリーゴーランドには乗れない。もっとも、人生で下水の穴を見る数に比べれば、メリーゴーランドを見る機会はそう多くないのがまだしも救いである。

ボートに乗ったティッピ・ヘドレンに突然襲いかかってくる鳥、トンネルのなかに入ったとたん消えてしまう窓ガラスの走り書きなどなど、ヒッチコックの映画でこの手のシーンは枚挙にいとまがない。幼いころ見て強烈な印象を受けたそれらの場面は、その後見直してみてもいささかもヴォルテージを失ってはいなかった。しかし、大人になって見てみたらたいしたことはなかったというのはよくあることだ。そんなふうに幻滅するのが怖くていまだに見直せないでいる映画もある。ウィリアム・ワイラー『コレクター』はそんな映画の一本だ。

イギリスで8才のころ誘拐された少女が、監禁されていた男の元を抜け出して保護されたというニュースが話題になっている。日本でもこれと似たような事件が最近立て続けに起きているが、『コレクター』はもう40年以上前にこれと同じような事件を描いた映画だ。

蝶のコレクターである男が、誘拐した若い娘を一軒家に監禁する。女は脅したり、説得したり、誘惑したりして、なんとか男から逃げだそうとするがそのたびに失敗する。ずっとふたりっきりで暮らしているうちに、女の男に対する感情はしだいに変化してゆく。最後にはそれは愛情に近いものになるのだが、一度だまされている男はもう彼女のいうことを信じようとはしない。女は病気になり、死んでしまうが、男はすぐに別のコレクションを探しに出かける・・・

という物語である。当時はそんな言葉はなかったが、今でいうところのサイコ・サスペンスだ。子供のときこの映画をテレビで見たときはショックを受けたものである。そのころワイラーという名前を意識していたかどうかはわからないが、今思えばまったく巨匠ワイラーらしからぬ異色の作品だった。あれ以来一度も見直したことがない。もう一度見てみれば案外たいしたことない作品かもしれない。しかし、わたしにとってはこれもトラウマとなっている一本である。原作は有名な作家ジョン・ファウルズの同名小説『コレクター』。それからだいぶ後になってファウルズの小説『魔術師』を読んで、そのうんざりするほどのおもしろさ(読んだ人はわかると思うけれど、これは形容矛盾じゃありません)に圧倒されてしまった。なにが本当だったのか最後まで読み終わってもいっこうにわからない、めくるめく世界を描いた傑作だ。サスペンス、恋愛小説、冒険小説、哲学小説、どこに分類していいのかわからないが、べらぼうに面白いことだけはたしかである。ちなみに、『魔術師』は松浦寿輝も絶賛している。文句なしに面白い小説を書く作家なのだが、一般の人にはなぜかあまり知られていない。翻訳もほとんどが絶版になっているのが残念だ(古本で手に入れてください。その価値はあります)。

ファウルズという作家を発見させてくれただけでも、ワイラーの『コレクター』はわたしにとって貴重な映画である。しかし、もう一度見てみたいかというと、やはり怖い気がする。