成瀬巳喜男『稲妻』★★★☆
ジャコメッティ展を見に行った兵庫県立美術館で成瀬の『稲妻』を見る。こんなところで映画の上映をしているとは知らなかった。もっとも、知っていても気軽にいける距離ではないが。入場料500円だったのでひょっとしてビデオ上映ではないかと思ったが、フィルムだったので安心した。真っ白い壁に直に上映するシネマテーク方式(?)。マスクもカーテンもないので画面の角が丸くなっていたりする。慣れないととまどうが、フィルムの隅々まで見られるのは快感である。それにしても、こんなにでかいスクリーンでスタンダード・サイズの映画を見るのはひさしぶりだ。ただし、画面が少し暗いような気がした。フィルムの問題か、それとも映写機のランプの光量の問題か。
なんどか見ているはずだが、前半は忘れている部分が多かった。途中で橋が出てくる。高峰秀子(三女)と三浦光子(次女)が、三浦光子の亭主(冒頭、バスガイドの高峰に目撃されるだけで、直後に死んでしまう)の愛人である中北千枝子宅に乗り込んでいく場面だ。あれはトラス橋というのだろうか、黒々としたでっかい鉄橋(橋桁が一段高くなっていて、入り口と出口で階段を上り下りしなければならない)をふたりが渡ってゆくところを俯瞰で収めたロングショット(中北千枝子が住む二階からの視線?)があらわれたとたん、画面が生き生きとしだすように思ったのはわたしだけだろうか。中北千枝子との慰謝料をめぐる静かながら激しいやりとりが終わったあと、相手のいいなりになってばかりの三浦光子にいらだった高峰秀子がさっさとその場を去り、おくれて出てきた三浦光子が橋の上で高峰に追いつく。ああと思うと、やはり例によってふたりは橋の上で立ち止まるのだが、そこで振り返ると遠くの二階から中北千枝子がこちらを見ているというめずらしく深い構図になっているところが印象的だ。
勝ち気で自己本位な長女(村田知英子)、陰気で愚痴ばかりいっているその亭主、ただ耐えているだけの次女、戦争帰りを理由に無為の生活を送る兄、家族のごたごたをあきらめてただ見ているだけの母親(浦辺粂子)、厚かましいほどのヴァイタリティにあふれている長女の愛人(小沢栄一郎がいやらしい目つきの中年男をいつものように圧倒的な存在感で演じている)などなど、下町を舞台にゾラの小説を思い出させる物欲色欲のどろどろとした世界をさらりと描いた前半も見ていて飽きさせないが、個人的には、橋が出てくるあたりからの後半部分が好きだ。
自分を取り巻く世界に嫌気がさした高峰は一人家を飛び出し、山の手に部屋を借りて一人暮らしをはじめる。彼女が暮らす二階の部屋と香川京子・根上淳の兄妹が住む隣家を描いた空間描写が素晴らしい(二階の窓から隣家の庭が見え、ピアノの音がふたつの空間をつなぐ)。突然の雨に、香川京子が隣家の洗濯物をしまいにいったことがきっかけで深まる関係。下町から山の手に移ったとたん、みんないい人ばかりというのは、不自然といえば不自然だが、それもふくめて成瀬における下町≠山の手の関係ももう一度考えてみたい。
成瀬の映画では、二階は決まって借家人の住む空間だという印象がある。さらにいうなら、そこは、「家」に縛られた主要な登場人物たちとは対照的に、家族から独立した自由人の住む空間でもある。『稲妻』では、高峰秀子の家の二階を借りて住む令嬢が彼女に一人暮らしを決意させるひとつのきっかけとなっている。
二階の窓から見える稲妻(あれはたぶん美術だと思うのだが、だとすればよくできている)。
高峰秀子とは本作と同じくバスの車掌(実質バスガイドです)を演じた『秀子の車掌さん』以来のコンビ。