明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。


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神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

ダグラス・サーク『明日は必ずある』



正直いって、シャマランの新作はどうでもいいと思っていたのだが、中原昌也が例によって大げさな物言いで、2回見て2度とも号泣した、今度3回目を見に行くなどといっているのを眼にすると、こいつ信用できないなと思いつつ、やっぱり『レディ・イン・ザ・ウォーター』は見に行っておいたほうがいいのか、と思ったりする。今月号の「カイエ・デュ・シネマ」でも、ジャン=ミシェル・フロドンが、イオセリアーニの新作の★三つに対して、『レディ・イン・ザ・ウォーター』には★4つをつけている。しかし、これ以外にジャン=クロード・ブリソーの新作にも唯一の★4つを与えているのを見ると、フロドンの趣味をはたして信じていいものかどうか。ブリソーの映画は初期の数作しか見ていないが、そんなにすごい映画を撮れる人間にはどうしても思えない。しかし、最近は、こういう言葉にだまされた振りでもしなければ、なかなか映画館に足が向かないのだ。



ダグラス・サーク『明日は必ずある』★★★
        『翼に賭ける命
        『自由の旗風』

ひさしぶりに Planet Studyo Plus One にいって、ダグラス・サークの映画を三本見る。『翼に賭ける命』以外ははじめて見る作品だ。どのフィルムもコンディションは最悪だった。『明日は必ずある』はぶれがひどく、音声も聞き取れない部分が多い。『翼に賭ける命』の上映フィルム自体は悪くなかったが、シネスコのトリミング版である。『自由の旗風』もシネスコのトリミング版で、こちらはカラー。もっとも色はほとんど失われていて、真っ赤っかの状態である。結局、いちばん状態の悪かった『明日は必ずある』だけが、サイズも合っていたし、もっともオリジナルに近い上映だったといえそうだ。とくに、カラーの『自由の旗風』のほうは、数日前にウルトラ・ビューティフルな画質のDVDで『風と共に散る』を見ていただけに、あまりにも無惨すぎた。まあ、見ることができただけでよしとしたいところだが、これでは完全に見たとはいえないので、『翼に賭ける命』と『自由の旗風』については★はつけない。

『明日は必ずある』はシュミットの『人生の幻影』を見て以来見たかった作品だ。テクニカラーがまぶしい『風と共に散る』のようなバロック的な派手さはないが、ラッセル・メティのキャメラは白黒映画においても陰影の深いコントラストのある画面を作り出している。おもちゃ会社の内部の描写など、まるでホラー映画のようだ。

おもちゃ会社の社長として社会的には成功を収めているフレッド・マクマレーは、家庭では妻からも子供たちからも軽んじられている存在(リビングに飾ってある写真に父親だけが写っていないというのがわかりやすい)。フレッドは、かつての女友達バーバラ・スタンウィックと偶然再会し、やがて彼女とともに牢獄のような家から抜け出すことを一時夢見るようになる。しかし、バーバラは彼の家族のことを思って身を引く決意をする(家族という幻影のために、愛という幻影を捨てる)。

お話的には、『人形の家』の男性版といったところだろうか。「女性映画」ならぬ「男性映画」ということもできるだろう。父親が家族のもとへと帰ってくるという《一応の》ハッピーエンドがよけいにむなしい気分にさせる(バーバラの乗った飛行機を自宅の窓から見上げるフレッド、申し分なく鈍感なジョーン・ベネット、ふたりが話す姿を見て「ふたりはナイス・カップルね」という娘。子供たちの姿は牢獄を思わせるリビングの格子状のしきり越しにとらえられる。『天の許し給うすべて』の子供たちと同様、ここでの子供たちも社会通念を体現している保守的存在として描かれている)。

There's Always Tomorrow というタイトルもそうだが、「陽光降り注ぐカリフォルニアで」という字幕のあとに土砂降りの場面がつづくオープニングからしてアイロニカルである。鏡、ガラス窓、枠を通してみられるサーク特有のイメージはここでも健在だ。


前に見たサークの映画で、骸骨のマスクをかぶった男が突然部屋のドアを開けて顔をのぞかせ、主人公たちを驚かせるという場面があったはずなのだが、どの作品のなかだったのかどうしても思い出せないでいた。『翼に賭ける命』の一場面だったとわかって、ちょっと意外だったが、この映画のテーマが死であることを考えれば、実にわかりやすい演出だ。フォークナー原作というのはサークの世界と相容れないような気もするが、二つのポールのあいだをぐるぐると回り続ける飛行機レースは、すぐれてサーク的な円環のメロドラマを象徴しているように思える。


『自由の旗風』は、そう多くはないサークの活劇のひとつである。しかし、パンを多用した撮影や、階段を使った演出など、メロドラマのときとあまり違いはない。もっとちゃんとしたフィルムで見たかった。

"There is a wonderful expression: seeing through a glass darkly. Everything, even life, is inevitably removed from you. You can't reach, or touch, the real. You just see reflections."

『Sirk on Sirk』

しばしば引用されるサークの言葉である。この言葉が聞かれるインタビュー本『サーク・オン・サーク』は日本では最近翻訳がでたばかりだが、アメリカではこの本が出たことによってサークの再評価が決定的なものになったといっていいだろう。その後のサーク評価はこの本によるところが大きい。ただ、このインタビューのおかげでインテリ西洋人としてのサークが再発見されるわけだが、描かれた対象に批評的距離ををおくサークのブレヒト的ということもできる手法があまりにも強調されすぎてしまったきらいがある。その結果、サークが撮ったメロドラマ以外の西部劇やコメディが、周辺的作品として批評から抜け落ちてしまっているような気がするのだ。『アパッチの怒り』はパリのシネマテークで一度見る機会があったのだが、見逃してしまった。それもふくめて、このあたりのサーク作品をいい状態でまとめて見てみたい。