ダニエル・ユイレが亡くなった。
事情通の方はとっくにご存じのようだが、わたしはつい昨日知って、驚いた。毎週、「リベラシオン」と「ル・モンド」の Web サイトをチェックしているのに、気づかなかったとは。たしかに、「リベラシオン」の11日付の記事の見出しに「Straub sans Huillet」とあったのを眼にしてはいたのだが、あとで読もうと思ってそのままにしていたのだ。ついつい、ウジェーヌ・グリーンだの、ジャン=ダニエル・ポレだの、マイナーな記事のほうを優先してしまうのがわたしの悪い癖だ。
自分でいうのもなんだが、勘はいいほうなので、「Straub sans Huillet」という見出しを見てぴんと来てもよかったのかもしれない。しかし、正直いって、そのときはなにも思わなかった。わたしのなかでは、ストローブ=ユイレと「死」という言葉はまったく結びつかなかったといっていい。ゴダールが死んだあとの世界のことはときどき想像することがあるが、ストローブとユイレがいつか死ぬなんてことは一度も考えたことがなかった。
大昔だが、一度だけユイレを間近で見たことがある。パリのシネマテークでストローブ=ユイレの特集上映があったときのことだ。どの作品の上映のときだったか忘れたが、遅れそうになったので、メトロの駅を降りて猛ダッシュし、パレ・ド・トキョーについたとき、入り口の近くにいるストローブの姿が眼に飛び込んできた。だれかと話し込んでいるので、よく見るとユイレだった。その日は、二人がゲストとして来館する予定はとくになかったので、いったいなにしに来たんだろうと思っていると、映画の上映が終わったあとで、司会者が出てきて、ストローブ=ユイレが急遽舞台挨拶をおこなうことになったと告げた。
そのときストローブが壇上でなにを話したのかはよく覚えていないが、フランスで公開されたばかりのイーストウッドの『許されざる者』をストローブが猛烈な勢いでけなしはじめたことはよく覚えている。『許されざる者』はもちろん傑作だが、それをけなすストローブを目の前で見られたのは幸せだった。ペドロ・コスタの『あなたの微笑みはどこに隠れたの』を見てもわかるように、ストローブはいつも怒ったような顔をして(実際怒っているのだが)、ぶつぶつと独り言でもいうようにしゃべる。けれども、この人は泣くときは号泣するにちがいない。
その日は、ストローブがひとりでしゃべりまくり、ユイレは落ち着きなさそうに舞台の袖に立って、ときおりストローブが間違ったことをいうと大声で訂正するぐらいだった。しかし、その存在感は圧倒的だった。わたしは舞台の端っこにいるユイレが気になってしかたがなかった。
こんなにパワフルなふたりがいつか死ぬなんて、そのときはもちろん、いまも考えられない。死というのはたしかに、いつも早すぎるか、遅すぎるか、そのどちらかなのだ。ユイレの死はあまりにも早すぎた。