明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。


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神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

『明日へのチケット』


一台の車とひと組の男女がいれば映画は作ることができる、といったひとがむかしいたが、『明日へのチケット』を見ていたらふとそんな言葉を思い出してしまった。特撮も、スターも、ドラマさえも必要ない。列車が走り、そこに乗客がいれば、そこに映画は成立するのである。映画を作る、なんと簡単なことではないか。本当はそんな簡単なことではないのだが、そんなふうに思わせてしまうところが、すばらしい。テロの不安が漂うなか、初老の男の頭のなかに去来する思い出と、最後の恋への夢を描いたエルマンノ・オルミ編もすごくいいのだが、わたしとしてはキアロスタミ編が頭ひとつ抜けていたように思う。傲慢不遜な女の付き人のようなことをさせられている青年を描いた短編だが、そこにはいつものように何ごとも起こらない。まるでドキュメンタリーを見るようだとついいいたくもなる。しかし、よく見ればそこにはたえず視点の移動があり、非常に巧みに演出されていることがわかる。母親ほどの年齢の女と青年との関係、携帯電話と座席をめぐるやりとり、偶然乗り合わせた少女との会話のなかに感じ取られる過ぎ去った時間。どうしようもない世界が浮かび上がってくるが、その世界は残酷であると同時に、滑稽でもある。映画の素肌に触れるような、静かな興奮を味あわせてくれる作品だ。ラストを飾るケン・ローチ編は、メッセージが少しばかり直接的すぎ、ほかの2編に比べて純度はいささか落ちる。しかし、これがケン・ローチケン・ローチたるゆえんでもある。

最近見た映画のなかでは、これがもっとも感銘を受けた作品だ。ソクーロフの『太陽』もデプレシャンの『キングス&クイーン』もすぐれた映画だったが、愛すべき作品かというと、ちょっとちがうような気がする。『明日へのチケット』は見ることの幸福をひさしぶりに思い出させてくれた。