明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。


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神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

『工場萌えな日々』


『工場萌えな日々』

テレビで紹介されていたのを見て以来、気になってしかたがないDVDだ。日本各地の工場地帯を歩き回って、工場の風景を延々映し出すだけの映像なのだが、短い抜粋を見ているだけでも引き込まれる。前にここで書いたが、『宇宙を夢見て』というロシア映画がちょっといいなと思ったのは、実際には宇宙とはなんの関係もない青春映画にもかかわらず、そこに出てくる工場の風景がどこかSFめいて見えてくるところだった。巨大なタンクがひしめくように並び、いくつものパイプがそのあいだを縫うようにして走っている。なかでは大勢の労働者たちが働いているのだろうが、遠くから見ていると人がいるように思えない。ただ白い煙だけがあちこちからモクモクとあがっている。それでいて、結局のところなにを作っているのかさっぱりわからない。そんな近未来の宇宙ステーションかなにかを思わせる鉄のかたまりがもつ不思議な魅力。わかる人にはわかるが、わからない人にはまったくわからないところが、いっそうマニアの心を刺激して〈萌え〉させるのだろう。

工場には、宇宙のイメージと同時に、どこか廃墟に通じるようなものがある。わたしは工場マニアでもなんでもないのだが、廃墟マニアだとはいえるかもしれない。町を歩いていてビルの解体跡などを見かけるとつい立ち止まってしばらくじっと眺めてしまう。ユベール・ロベールの描く廃墟画や、ピラネージの牢獄の絵は何時間見ていても飽きないぐらい大好きだ(そういえば明日から始まる「大エルミタージュ展」にはユベール・ロベールは入ってるんだろうか)。寂れた工場の風景にもそんな廃墟の雰囲気がある。いや、別に寂れていなくとも、巨大な工場はそれ自体が廃墟である。たとえば、黒沢清の映画には廃墟のような場所が繰り返し舞台として登場する。その無人のだだっぴろい空間のもつ魅力は、工場の風景がもつ魅力と結局は同じものといっていいだろう。実際、黒沢清の映画にはどこかの廃工場が重要な舞台として使われることが少なくない。

ただ、廃墟という言葉はいまではずいぶん手垢にまみれてしまっている。栗原亨『廃墟の歩き方』のような本がそれなりに売れ、薄っぺらい廃墟本がいくつも書かれてしまった。いまさらこういう場所で廃墟美を語るなど恥ずかしくてとてもできない。もしも廃墟のDVDがあったとしても見たいとは思わなかっただろう。そこへいくと工場というのは盲点だった。これがあったか、やられたという感じだ。つい見てみたいと思ってしまった。このままだと買ってしまいそうである。

欲をいうなら、これには日本の工場しか入っていないようなので、ぜひアメリカ編や、地中海編などを作ってほしいものだ。思いつくまま挙げるなら、たとえばロバート・アルドリッチの『カリフォルニア・ドールズ』で、試合のあいだに挿入される移動の場面で車外に映し出されるいかにもアメリカ的な工場風景などが、本筋とは関係のないところでなぜか記憶に残っている(キャメラはたしかジョゼフ・バイロック。思い出しながら書いているので、ひょっとしたら工場なんか出てこなかったかもしれない。録画したビデオがあるが確認するのも面倒だ)。

ちなみに、姉妹編として『工場幻想曲 インダストリアルロマネスク』というDVDも出ている。

どうでもいいが、最近の ATOK はキーボードで「もえ」と打つと「萌え」と変換してくれるようになっていることを初めて知った。