明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。


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神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

松浦寿夫・岡崎乾二郎『絵画の準備を!』


いくつもの本を平行して読んでいるので、ときどき頭が変になりそうになる。いま読んでるのは、アガサ・クリスティの "The Witness for the Prosecution" (ビリー・ワイルダーの『情婦』の元になった同名短編)が入っている短編集のペーパーバックと、これもペーパーバックでトム・クランシーの "Net Force", それから、『家庭教師ヒットマン REBORN!』という別にどうということもないがけっこう笑える漫画(『うる星やつら』の影響をもろに受けているような気がするアクション・コメディ)など。しかし、こんなものばかり読んでいると馬鹿にされるので知的なものも一冊読んでおこうということで、例によって買ったままながいあいだ放っておいた『絵画の準備を!』を読み始める。

わたしが紹介するのもなんなので、帯に言葉を書いている、いとうせいこう島田雅彦浅田彰の三人の言葉を引用しておく。

絵画の問題系をもらさず網羅した濃厚で緻密な対談。語られるべきすべての絵画の、言語形式での完全アーカイブ。このテキスト群はまるで百科全書のように一生涯参照可能だ。

いとうせいこう

岡崎乾二郎松浦寿夫の両氏は芸術の歴史に深く思いを馳せながら、最初の原則に立ち戻るために言葉の限りを尽くしている。

島田雅彦

絵を描こうと思ったら白い画布に虚心に対面しさえすればいい──この通念がイデオロギー的虚構に過ぎないこと、「絵画の準備」のためにはそのような虚構こそを粘り強く解体していかねばならないこと、この対話集で語られるのは煎じ詰めればそのことだけだと言ってもいい。ただ、その議論が、ルネサンスから現代、西洋美術から日本美術に至る広い範囲にわたって、たえず具体的な作品に即して展開されるので、読者はつねに新鮮な発見に満ちた議論を追いながら、自ずと凡百の美術書をどれだけ読んでも得られぬ知見を得ることができるだろう。セザンヌマティスのどこがどう面白いのか、グリーンバーグやクラウスは要するになにを言っているのか……。向かうところ敵無しという勢いで縦横無尽に論理を展開し議論をリードする岡崎乾二郎。時に暴力的でさえあるその論理を柔らかく受けとめ、歴史的な細部や感覚的なニュアンスにこだわりながら巧妙に補助線をひいてゆく松浦寿夫。理想的とも言うべき顔合わせによる、これはきわめて実り豊かな対話の記録である。

浅田彰


ここまでほめられるとわたしでなくともつい買ってしまうだろう。しかし、そう生やさしい本ではない。お手軽な知識が必要な人は、インターネットで適当なサイトを探してブラウズしていたほうが身のためだ。400ページを超える分厚い書物で、いい紙を使っているのかもつとずしりと重い。論文ではなく対談だけを収めたものなのだが、おちゃらけた部分はほとんどなく、どのページを開いてもレベルの高い議論が緻密に展開されている。モダニズムを論じた章では、カントやレヴィ=ストロースの話が大部分を占めていたりして、全体的に美術というよりも哲学的な問題が掘り下げられてゆく。たしかに読み応えはあるけれども、最後まで読み通すのは一苦労だろう。随所に注目すべき見解が提示されているので、わたしのように美術の専門家でないものは、自分の気になるテーマだけに目をとめてそこだけを集中して読むだけでもためになるかもしれない。純粋視覚、平面性などといった問題系は映画を考える際にも有効だろう。とはいえ、グリーンバーグの美術評論など、いわゆる「猿でも読んでいる」本ぐらいは最低限目を通しておいたほうがいい。というか、それさえ読んでいない人がこの本を読んで得るものがあるかどうか。

この内容で3000円もしないのは激安といってもいいだろう。とにかく買っておいて損はない本だ。