明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。






























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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

パスカル・ボニゼール『歪形するフレーム』


ルペンが大敗したのはよかったが、かといってサルコジの大統領姿は見たくないな・・・。しかし、そうなるんだろうか。


パスカル・ボニゼール『歪形するフレーム ─絵画と映画の比較考察─』を読み始める。やっぱり梅本洋一の訳は読みにくい。できれば原書で読みたかったのだが、いつの間にかフランスでも品切れ状態になってしまっていた。仕方なく翻訳を買ったのだけれど、読んでいるとなんだか尻がむずがゆくなってくる。何度読んでも意味がすっきりとおらないのは、なにもわたしの頭が悪いせいだけではあるまい。たとえば、こんな箇所。

ミトリは、『2001年宇宙の旅』や『トロン』の空間を考慮するまでもなく、観客たちが関心を持っている空間(スクリーンの空間だ)がフィルムに撮られる前の空間としばしばなんの対応関係もなく、だが、古典的なマスク・反マスクから、単なる『発見』を経て電子的なマットに至る様々なものが混合したトリックの結果であることを知っているはずだから、このことはますます不可思議なものになる。というのは、映画の映像とは、もしその映像が記録というものを通過して、その具象的な構造を獲得するなら──たとえ総合的な映像について言及しないまでも今日のビデオやコンピュータの効果が大きく映像を変形することができるにせよ──、当然のことながら形のない絵画同様の映像の宇宙から派生するものだからである。だから、偉大な映画作家たちはつねに偉大な画家をその存在証明にするのだ。


原文がないので、これがどれほど正確な訳なのかはわからない。「総合的な映像」とあるのは、たぶん、「image synthétique」の訳なのだろうと推測がつく。「synthétique」は、哲学用語としては、「analytique」(「分析的」)に対立する言葉で、「総合的」と訳されることが多いのはたしかだ(そういえば、今日の衛星ニュースで、サルコジが「La France est une synthèse」と連呼していた)。が、「image synthétique」となると、ふつうは「合成映像」の意味になる。ここは文脈上そう訳さないとわからない。しかし、そうした単語レベルの話ではなく(まあそれも重要なのだが)、文の各要素がどう関係しているのかがさっぱりわからないのだ。それにこの本、誤植が多すぎるぜ。もうちょいプロ意識を持って作ってほしかった。