京都の相国寺承天閣美術館で、2007年5月13日(日)〜 6月3日(日)まで、開基足利義満600年忌記念として「若冲展 釈迦三尊像と動植綵絵120年ぶりの再会」が行われている。
もう開催されて一週間になるのだが、わたしは昨日知ったばかりだ。最近は情報誌もあまりチェックしていないので、いろんなことを見逃してしまっていそうで怖い。この展覧会のことは、昨日の深夜、テレビで「増殖する細胞 伊藤若冲」という番組をやっていたのをたまたま目にして知った。でなければ見逃すところだった。始まったばかりだというのに、あと2週間ほどで終わってしまうのだ。最高傑作「動植綵絵」(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)と「釈迦三尊像」(相国寺蔵)全33幅が、およそ120年の時を超えて再会するというからすごい。千載一遇の機会というのはこういうことをいうのだろう。関西以外から見に来るファンも多いのではないだろうか。こないだのプライスコレクションの若冲もすごかったが、あれは若冲だけの展覧会ではなかったので、まだまだ見たりないという気がしていただけに、これは実にうれしい知らせだ。
昨日のテレビ番組を見ているだけでも、「奇想の画家」伊藤若冲の、異様で楽しくポップな絵の迫力がびんびん伝わってくる。見逃せない。
「動植綵絵」については、たとえばこんな文章が感じを伝えてくれるだろう。
だが、物に即しての「写生」という概念を、同時代の円山応挙のいうように、対象の形態の正確な再現を第一義とする作画態度として規定するならば、若冲は果たして写生画家といえるかどうか、むしろ疑問なのである。実際の「動植綵絵」の画面に即していうならば、若冲のいう「物」とは、彼の日常の視覚体験そのものであり、そこには、彼が執拗に観察した鶏や昆虫の生態のほかに──あるいはそれ以上の比重を占めて──彼がその驚くべき集中力により頭脳の中に刻み込んだ中国の花鳥画・草蟲画の世界があった。それらは、先入観や常識にとらわれない彼の生の凝視によって、不思議な非日常の影像世界へと変形されているのである。その世界では、植物はその重力を失って、画面空間を浮遊し、花や葉は真正面向きにこちらを見つめ、またのぞき穴をくりぬかれる、それは彼自身の無意識の深層からの謎めいた迷信である。葉につもる雪は、くねくねとうねる曲線で縁取られて妖しい踊りを披露する。すべてのかたちは、分裂、増殖を繰り返して、画面の外へ拡散しようとする。若冲の視覚が指揮する魔術の世界である。
そうした複雑多様な非日常の影像世界を、彼の優れた装飾感覚と構成力が、緊密に統一された画面に仕上げる。そこに施された艶麗な色彩には、彼が南蘋派の彩色法から学んだあとも認められるのだが、「動植綵絵」の制作も後半にかかるところから、色彩はより透明な鮮やかさを増し、かたちには、曲線的な優雅さが加わる。それは彼の日常環境にとって、むしろ中国画より親しい存在であるところの琳派の装飾画法が、徐々に作風に浸透してゆく過程に他ならない。「動植綵絵」制作の最後のころに描かれたと思われる「紅葉小禽図」、「菊花流水図」はその好例である。この傾向は、彼が晩年に西福寺の「群鶏図襖絵」において光琳の装飾画法の個性的な継承を果たす、その伏線としての意味を持つ最初の段階の注目すべき仕事である。