最近、シャルナス・バルタスで検索してわたしのページを見に来た人が何人かいたので、なにゆえ? と思っていたら、「EUフィルムデーズ 」というのを東京でやっていて、それでバルタスの『自由』という作品が上映されたらしい。フランス語字幕のみだが、台詞がほとんどない作品だという。そうだったのか。うらやましい。やっぱり東京にいないとみれないのか・・・
この機会にいま気になっている名前を列挙してみる。こんなふうにこのブログ自体がアンテナとなることもあるからだ。固有名詞を蜘蛛の巣のように張り巡らせておけば、このあたりの名前をめぐって動きがあったとき、いち早く情報を察知できるかもしれない。
- Artavazd Pelechian(アルメニア)
- Frans van de Staak(オランダ)
- Michel Brault(カナダ)
- Peter Nestler(ドイツ)
- Sandro Aguilar(ポルトガル)
- André Delvaux(フランス)
これらの映画作家については、高い評価をあちこちで耳にするが、André Delvaux をのぞいてほとんどまともに上映されたことがないし、DVD にもほとんどなっていない。
André Delvaux の作品は、何本か公開されているが、見逃してしまっている。今頃になってなんとなく気になりだした監督だ。もっとも、実際に見てみたらたいしたことないのではないかという気がしないでもない(残念ながら、わたしの勘は結構当たるのである)。
以下は、Eric Khoo をのぞいて、まだ評価があまり定まっていない若手監督たち。韓国にもひとり気になる監督がいた。しかし、昨日からがんばっているのだが、名前が思い出せない(韓国映画の監督の名前を、わたしはまったくといっていいほど覚えられないのだ)。
- Eric Khoo (シンガポール)
- Garin Nugroho(インドネシア)
- Raya Martin(フィリピン)
- Tan Chui-mui(マレーシア)
- James Lee(マレーシア)
- Woo Ming-jin(マレーシア)
- Ho Yu-hang(マレーシア)
これらの監督の作品がどこかで上映されたなら、見に行っておいたほうがいいかもしれない。
フランスではいま南米の映画作家がメディアでよく取り上げられる。全体として水準が高い作品が多いのはたしかだろう。東欧や中東の映画も相変わらずポテンシャルが高そうだ。配給業者に任せておけばいつまでたっても見つからないが、わたしが探せば才能のある監督がごろごろしているかもしれない。しかし、ジャ・ジャンクーやアピッチャッポン・ウィーラセタクンのような存在はそうは出てこないようだ。また、そう簡単に出てこられても困る。アメナーバルやナイト・シャマラン程度ならいくら出てきてもかまわないのだが、本気にさせる映画は疲れるのだ。