明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。


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神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

『やわらかい生活』とか


ヴェネチアで公開されるというオリヴェイラの新作「Cristovao Colombo - O Enigma)」(「クリストファー・コロンブス─謎」)は、DV で撮影されているらしい。ストローブに続いてとうとうオリヴェイラも DV で撮るようになったか。一世紀のあいだフィルムで撮り続けた映画作家が、新たなテクノロジーによってどう変わるのか、変わらないのか、興味深い。


☆ ☆ ☆


テレビで見た映画のことももう少し取り上げていこうと思っている(実はネタ切れ?)

三隅研次作品と同じタイトルだがまったく別の内容。圧政を見かねて城内家老を暗殺した若き志士たちが、次席家老の陰謀によって反逆者として追い詰められてゆく。そこに、武士を捨てたやくざもの(仲代達也)と、武士にあこがれる農民(高橋悦史)、次席家老に金で雇われた浪人(岸田森)などがからむ群像劇。空っ風に砂塵の舞うゴーストタウンに高橋悦司がふらりと現れるマカロニ・ウエスタン風というか、『用心棒』ふうの始まり方は期待させるが、太いうねりとなる物語の芯に欠けていて、おもしろさも感動も今ひとつだった。しかし、これが大好きだというファンも多いようなだ。

廣木隆一の映画を見るのはこれがほとんど初めてだ。こんないい映画を撮れる監督だとは知らなかった。実をいうと、長い間この監督を別の人物と混同していた。むかし、『あふれる熱い涙』という映画が評判になったことがある。別にたいした映画ではないとわたしは思ったので、その監督(田代廣孝)のことは忘れてしまっていたのだが、どういうわけか、いつの間にかこの監督と廣木隆一を混同するようになっていたらしい。「どういうわけか」といったが、はっきり言うと、名前に同じ「廣」の文字が入っているという実に単純な理由からだったようだ。

そんなわけで、廣木隆一という名前をときどき目にすることがあっても、ほとんど無視してきたし、フィルモグラフィーを調べてみようという気になることもなかった。『やわらかい生活』を見てはじめて関心をもち、これまでの経歴を調べてみたのだが、このひとは80年代にポルノ映画路線でデビューし、今に至る、日本映画の監督としては由緒正しい経歴の持ち主のようである。作品にはばらつきがあるようだが、今後は要注目だ。


映画は痴漢の場面で始まる。最初からデジャ・ヴュ感があったが、EDの都議会議員が出てきたところで、絲山秋子『イッツ・オンリー・トーク』が原作だと確信する。精神病院に入院していた過去をもち、今はニートのヒロインと、彼女が関わるちょっと変わった男たちとの日常を、「イッツ・オンリー・トーク」(ただのおしゃべりさ)と突き放して描いた小説だ。原作の連作小説風の構成はある程度生かされているが、映画では豊川悦司演じる中年男の部分がクロースアップされていて、原作とはだいぶ印象が違うものになっている。実をいうと、原作を読んだとき、この中年男に中原昌也のイメージをかぶせて読んでいたのだが、その中原昌也がこの映画に出演する予定があったということをあとで知って驚いた。もっとも、全然関係ない役だったらしい(結局、出演はなくなったのだが)。

蒲田界隈の古びた町並み、時代遅れの銭湯、古びた商店街、縁日の金魚など、忘れ去られたような光景や事物がことさら映し出されていくが、決して懐古趣味的ではない。

ポルノ出身の監督だが、この映画にはきわどい場面はほとんどないといっていい。痴漢は痴漢するだけだし、イケメンの議員は勃起障害を抱えている。男女がベッドにはいるシーンはあっても、いわゆるベッド・シーンはなく、最後の最後に、すべての官能性をそこに賭けたようなキスシーンが一度あるだけだ。

アップはほとんどなく、終始引いた画面での長回しが多用されている。最近のある種の日本映画によく見られる長回し撮影のほとんどはわたしには演出放棄としか思えないのだが、トヨエツと寺島しのぶの濃密な演技にはその時間を埋めるだけの存在感がある。セリフに頼らずとも表情やしぐさでわからせるだけの厚みがある。それだけに、寺島しのぶがトヨエツの死を知らせる電話を受ける場面の弛緩しきった演出にはがっかりした。ヒロインと関わった男たちのその後をぽんぽんと見せていくラストも、とってつけたようでわざとらしい。そんなに急いでまとめる必要はなかっただろうに。しかし、ここは監督というよりも、脚本の荒井晴彦の責任かもしれない。

最後の最後でお茶を濁してしまったが、いい映画であることはたしかである。