明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。


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神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

『なぜ、植物図鑑か―中平卓馬映像論集』


最近、わけあって、女が書いた文章を集中的に読んでいる。女性作家の書いたものというのではなくて、語り手が女性という設定の文章、できれば手紙(あるいは手紙体の小説)をまとめて読んでいるのである。女のエクリチュールというやつだ。

翻訳だとわからないので、最初から日本語で書かれたものを探している。思ったほど簡単に見つからなくて、リストアップするのがなかなか難しい。


高橋源一郎ご推薦の「女生徒」など、女の独白体で書かれた作品をいくつも書いている太宰治などを、とりあえずまとめて読み返している。



☆ ☆ ☆



中平卓馬による伝説の映像論集『なぜ、植物図鑑か』が文庫本として再版された。



『決闘写真論』の数年前、73年に晶文社から出版された伝説の写真論だが、

「カメラはペシミズムを背負って 1967.6 ミケランジェロ・アントニオーニ監督『欲望』」、「ドキュメンタリー映画の今日的課題 1970.1 土本典昭監督『パルチザン前史』、小川紳介監督『圧殺の森』」、「カメラは現実を盗みとれるか 1970.4 ミケランジェロ・アントニオーニ監督『砂丘』」、「作品は現実の一部である 1970.8 ジャン=リュック・ゴダール監督『東風』その一」、「作品の背後になんかゴダールはいるはずもない 1970.9 ジャン=リュック・ゴダール監督『東風』その二」、「不可避的な身ぶりとしての映画 1970.10 A・ヴァルダ監督『幸福』、G・ローシャ監督『黒い神と白い悪魔』」、「映像の党派性の確立は可能か 1970.11 ジャン=リュック・ゴダール監督、『イタリアにおける闘争』」、「あらんとするものをあらしめる 1970.11 吉田喜重ゴダール、川藤展久射殺事件TV中継」、「血ではなく、赤い絵の具です 1970.12 ジャン=リュック・ゴダール監督、『ウィークエンド』『中国女』」、「フェリーニのローマ 1972.9 フェデリコ・フェリーニ監督『フェリーニのローマ』」

などの映画論や、演劇テレビなど、言葉の広い意味で、映像一般を論じた文章が収められている。

『決闘写真論』をはじめて読んだとき、ブレヒトアルトー、ジャン・リカルドゥーといった固有名詞が次々と出てきて驚いたことを覚えている。ただの写真家だと思っていたので、非常に密度の高い文章にびっくりしてしまったのだ。『なぜ、植物図鑑か』は、映画ファンが読んでも非常に興味深い本なので、一読をおすすめする。