明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。


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神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

「BACCANO!」など



SOFTBANK の新機種が発表。カメラに特化したケータイを期待していた。910sh は国際ローミングに対応していないのが唯一の弱点だったので、あれと同じぐらいのデジカメ性能で、国際ローミング対応の機種を待っていたのだ。たしかに、今回の秋冬モデルにはずばりそれがあったのだが、それがサムスン製だったことにショックを受ける。シャープはもう 910sh の後継機を作る気がないのか。


☆ ☆ ☆


最近、パトリシア・ハイスミスの「恋盗人」を読んで、やっぱり手紙って面白いなと思った。恋人からの来ない手紙をいつまでも待ち続ける、見知らぬふたりの男女の相似形の物語が、手紙の持つ非相対性を際だたせている好短編だ。

太宰治を読んでいると前回に書いたが、太宰も手紙を使うのがうまい作家だった。手紙というエクリチュールにこだわった作家だといってもいいかもしれない。手紙そのものが作品の核となっている小説はいうまでもなく、「ダス・ゲマイネ」のように、作品のなかで手紙が使われているだけという場合であっても、そこには手紙という存在についての非常に興味深い考察が見られる。

書きしだい、文字が乾く。手紙文という特異な文体。叙述でもなし、会話でもなし、描写でもなし、どうも不思議な、それでいてちゃんと独立している不気味な文体。

(手紙というものは、なぜおしまいに健康を祈らなければいけないのか。頭はわるし、文章はまずく、話術が下手くそでも、手紙だけは巧い男という怪談がこの世の中にある。)ところで僕は、手紙上手であるか。それとも手紙下手であるか。さよなら。


☆ ☆ ☆


テレビドラマ雑感。


ガリレオ」。「怪奇大作戦」からオカルト的な部分をとりのぞき、登場人物をふたりに絞ったようなドラマ。毎回「科学オチ」になるのが淡泊な印象を与えるが、まあそういう設定のドラマなのだから仕方がないか。2話目にしてすでにワンパターンになってきているので、もう少しシナリオに工夫がほしかった。

医龍2」。前のシーズンよりもこっちのほうが面白そうだ。原作の漫画は12巻目あたりまで読んでいるが、こういう展開はなかった気がする。ドラマは漫画とは別ストーリーなのか? 漫画のほうはすでに14巻目まで出ているようなので、確認する必要があるようだ。


☆ ☆ ☆


「BACCANO!」。うちは WOWOW は映らないのだが、たまに無料放送でスクランブルが解けるときがある。これはそういう無料放送の一つで放映しているアニメ。なにげに見始めたが、結構変なアニメである。


1話目は、未来から物語を傍観しているようなふたりの語り手が登場し、この物語のはじまりはどこか、主人公はだれかを、あれこれ議論しあい、最後に、その語り手自体が物語の主人公である可能性をにおわせて終わる。凝った、というか、気取ったはじまり方だが、ひょっとするとタランティーノの影響を受けているのかもしれない。あるいは、『巴里の空の下セーヌは流れる』のデュヴィヴィエふうといってもいいか(まあ、今時だれも見ない映画だろうが)。

マフィアがはびこっていた禁酒法時代のアメリカを舞台に、マフィアや、ふたり組のこそ泥(このふたりがコミカルな場面を担当している)、不死になる薬を飲んで超人的な能力を身につけてしまったものなど、様々な人物が一度に登場し、複数のストーリーラインが平行して語られてゆく。最初は、話の流れをつかむだけでも一苦労である。ときおり時間が前後し、同じ瞬間が別の視点から語り直されたりするあたりも、いかにもタランティーノくさい。内容もタランティーノばりに血なまぐさいので、そういうのが苦手な人は見ない方がいいが、注目していい作品だ。"baccano" はイタリア語でノイズという意味だったと思う。このタイトルで、いくつものエレメントがぶつかり合う狂騒状態を示したかったということか。