明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。





























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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

アイザック・アシモフ『コンプリート・ロボット』


アイザック・アシモフ『コンプリート・ロボット』


周知のごとく、ロボットという言葉が最初に登場するのは、チェコの作家カレル・チャペックの戯曲『RUR――ロッサム万能ロボット会社』においてである。この言葉は、チェコ語の robota(強制労働)、robotik(労働者)からの合成語であるという。

「ロボット」は労働を意味する言葉であり、その労働とは、主体を持たない奴隷の労働だった。当然といえば当然である。自分に命令を与える主人を、人間がわざわざ作り出す必要はないからだ。人間に仕える奴隷。それがそもそものロボットのはじまりだった。アシモフロボット三原則も、要するに、ロボットよ、人間のよき奴隷たれと言っているに過ぎない。

しかし、人間とは不思議なもので、こういう都合のいい奴隷を想像し、創造する一方で、自分よりもすぐれた存在である主人をわざわざ作り出し、それに服従してきた。それが神であり、宗教である。


さて、この本に収められているアシモフの短編「われ思う、ゆえに……」(Reason)には、自意識を持ち、人間以上の思考能力を有するロボットが登場する。このロボットは、デカルトの公式を自らの力で発見するに至り、そこから自分の存在理由を問いはじめるのだが、かれには自分が、自分よりも劣っている人間の手によって作られたと聞かされても納得できない。自分が何者によって作り出されたのかを考えるうちに、ロボットは宗教へとのめり込んでゆく。もっとも、ロボットが自らの創造主として信仰するに至る神とは、ただのエネルギー転換器に過ぎないのだ。合理主義の固まりのようなロボットも、傍目には狂っているとしか見えない。これを読んでいて、デカルトという哲学者は、結局、ひとりの狂人だったのではなかろうかという気さえしてきた。


ところで、ロボットの進化とはなんだろうか。人間に近づくことがロボットの進化なのだろうか。だとするなら、それは人間にとって危険なことであるとアシモフは考えていたようだ。この本には収録されていないが、アシモフの短編に、Robot dreams というのがある(「コンプリート・ロボット」というタイトルになってはいるが、実は、アシモフのロボット短編はここに収められているものだけではない)。タイトルの通り、夢を見るロボットを描いた作品だ。アシモフのSF作品の常連、スーザン・キャルヴィン博士が登場する。博士は、問題のロボットを査問し、かれが本当に夢を見ていたことを確信すると、一瞬の迷いもなく、ロボットを破壊する装置のスイッチを押す……


正直いって、アシモフのSF は、構成も内容も古典的で、わたし好みではない。けれども、ミステリー作品も書いているだけあって、つぼを押さえた書きっぷりはなかなかのものだ。なんにせよ、ロボットを語るにはアシモフの小説は避けて通るわけにはいかないだろう。


☆ ☆ ☆


リュミエール兄弟は、ミシンの機械仕掛けを見ていて、フィルムのパーフォレーションを使ったコマ送りのシステムを思いついたという。映画がそうしたマシーンの歴史ともつながりがあることを忘れてはならない。映画もまたロボットなのだ。アルトーに霊感を得て、映画の自動仕掛けというテーマをこの上なく深く掘り下げて見せてくれたのが、『シネマ2』ドゥルーズだった。