明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。


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神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

映画についてわたしが知った二、三の事柄

ミッチェル・ライゼンとポロンスキー

上島春彦『レッドパージ・ハリウッド』をようやく4分の3あたりまで読み終える。評判は聞いていたのだが、あまのじゃくな性格なので、いままでわざと読まないでいた。たしかに、面白い。HUAC に抗した左翼脚本家たちを中心に、ハリウッドの映画人たちが赤狩り時代をどう生きたかが語られてゆくのだが、新たな資料を駆使して、これまでの通念を覆すような史実を読み解いてゆく手つきはとてもスリリングで、まるで歴史ミステリーを読んでいるような気にさえなる。

ところで、この本を読んでいて、ミッチェル・ライゼンの『黄金の耳飾り』エイブラハム・ポロンスキーの脚本だと知って驚いた。正確にいうなら、ポロンスキーの脚本だったことを忘れてしまっていたといった方がいいだろう。何度か書いていると思うが、わたしは前々からミッチェル・ライゼンという監督が気になっていて、機会を捉えては見るようにしてきた。もっとも、かれの作品はほとんどソフト化されておらず、むろん、どこかで上映されたりする機会などほとんどない。わたしが見ることができたのはほんの数本で、どれも代表作とは言い難い作品ばかりだった。淀川長治がどこかで、ミッチェル・ライゼンなんてたいしたことないと吐き捨てるように言っていたと記憶しているが、たしかに、わたしの見ることができたかれの映画はどれもたいしたことなかった。『黄金の首飾り』はそのなかでもとくにがっかりさせる一本だといっていい。


第二次大戦中、諜報活動を行っていたアメリカの大佐(レイ・ミランド)がナチに捕まる。すきを見て脱走したかれは、ジプシーの占い女(マレーネ・ディートリッヒ)にかくまわれ、ジプシーたちと生活をともにするようになる。ナチの警戒をかいくぐって大佐は、大事な情報を盗み出して無事本国に帰国するが、ジプシーたちとの生活が忘れられず、ジプシー女のもとへと帰って行く。


わたしには、顔を黒塗りにして耳にイヤリングをしたレイ・ミランドも、ジプシー女に扮したマレーネ・ディートリッヒも、正視できないほど滑稽に思えた。ポロンスキーの最初の意図は、ジプシーたちがユダヤ人同様強制収容所に送られて虐殺されたことに基づいて、ジプシーをユダヤ人とパラレルな存在として描くことだったらしいが、完成作品にはこうした意図の痕跡も見えない。しかし、皮肉なことに、この作品は、ポロンスキーの名前がフィルムに刻印された数少ない作品になってしまった。

この映画を見たときに、わたしはたしかにクレジットにポロンスキーの名前を見たはずである。しかし、その内容があまりにポロンスキーの名前にふさわしくなかったので、無意識のうちに忘れてしまったのに違いない。はたして、ポロンスキーが書いた脚本のどの程度の部分がこの映画のなかに残っているのか気になる。"Golden Earrings" というタイトルからして、主人公がイヤリングをつけてジプシーに扮するという設定は、もともとあったのだろうか。オリジナル脚本が残っているなら読んでみたいものである。

『春なき二萬年』とファスビンダー

『春なき二萬年』という作品については、ジェームズ・ボールドウィンの『悪魔が映画をつくった』という本を紹介したときに、一度だけ名前を出したことがある。最近、渋谷哲也・平沢剛編の『ファスビンダー』に収められた四方田犬彦のエッセイを読んで、ファスビンダーが、テレビで録画したこのマイケル・カーティス作品を見ながら死んでいったということを知り、ちょっと感動した。最後の最後まで、かれはメロドラマへの関心を失っていなかったわけだ。四方田はそれを、ダニエル・シュミットから聞いた話として伝えている。

わたしは親友だったファスビンダーの死を美しいと思う。かれは驚異を感じる暇もなく死んだのだから。ファスビンダーは朝の四時に、TVで録画したマイケル・カーティズの『春なき二万年』を見ていたところだった。発見されたときにはまだ手に煙草があったし、TVは終わっていなかった。心臓だけが停止していた。


このシュミットの言葉は、四方田の旧著『人それを映画と呼ぶ』に引用されていたものらしいから、わたしはおおむかしにこの一節を読んでいたことになる(この本はいまも本棚にある)。この頃は、わたしも、当時の批評に誘導されて、ついヴェンダースやシュミットのほうばかりに関心がむかい、ファスビンダーの存在を無視しがちだった。『春なき二萬年』とファスビンダーというこのふたつの名前は、いまはじめて出会ったかのように新鮮に思える。


ファスビンダーといえばダグラス・サークの影響に話が集中しがちだが、かれのアメリカ映画への関心がサークだけにとどまらず、もっと幅広いものだったことは、まだまだ知られていない。最初期の短編『宿なし』には、ラオール・ウォルシュのポスター(ナチの党大会らしき場面が映っているのだが、あれはなんの作品なのだろう。ともかく下にウォルシュの名前が書かれていた)が壁に貼ってあるのが見えるし、ファスビンダー唯一の西部劇『ホワイティ』(未見)は、ウォルシュの『南部の反逆者』にインスピレーションされたものだと聞いている。ファスビンダーは意外とウォルシュのファンだったりするのだ。

『春なき二萬年』のマイケル・カーティズについては、ファスビンダーは、「マイケル・カーティズ──ハリウッドのアナーキストか?」という一文を残している。このタイトルが、アントナン・アルトーの『ヘリオガバルス──または戴冠せるアナーキスト』から取られていることを知ったなら、ファスビンダーがカーティズをどれだけ評価していたかがわかるだろう。この評価が正当なものかどうかはともかく、ファスビンダーの目を通してみられたアメリカ映画は、いま、ヴェンダースアメリカへの郷愁よりも、ずっと刺激的に感じられることだけはたしかだ。