明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。


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神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

マイケル・カーティス『四人の姉妹』ほか

マイケル・カーティス『四人の姉妹』

ローズマリー、ローラ、プリシラのレイン三姉妹(本当は四姉妹だが、この映画では四女をゲイル・ペイジが演じている)が共演した『若草物語』ふうのメロドラマ。原作はファニー・ハースト。『模倣の人生』『ユーモレスク』などの原作で知られる女性作家である。


四姉妹よりなる陽気な音楽一家のもとに、若いジャズ作曲家が寄宿することになる。このハンサムで洗練された青年(ジェフリー・リン)に四姉妹は色めく。とりわけ、プリシラ・レインとゲイル・ペイジのふたりが彼を真剣に愛するようになるのだが、ゲイル・ペイジにはすでに恋人がいる。やがてプリシラと青年は愛しあうようになり、結婚することに決まる。しかし、ゲイルの気持ちを知ったプリシラは、結婚式直前に、愛してもいない男と駆け落ちして、家を出て行く・・・


プリシラが駆け落ちする相手というのが、これが映画デビュー作となるジョン・ガーフィールド。庭の桜をなめるようにキャメラが家に近づいてゆく冒頭の場面にはじまって、いかにも少女趣味的などこかふわふわとした明るく陽気なこの映画のなかで、ジョン・ガーフィールドひとりがマイナスのオーラを出しまくっていて、強い印象を残す。ガーフィールドは不遇をかこって世をすねて生きている編曲家の役で、明るい家庭のなかでそこだけ光が当たっていないかのような、ひとり浮いた存在を見事に演じている。この映画が撮られたのは38年だから、赤狩りのはじまる遙か以前ではあるのだが、最後の、限りなく自殺に近い事故の場面には、この十数年後のガーフィールドの悲惨な死の光景がかさなって見え、思わず感動してしまう。

ティム・バートン『スウィニー・トッド』をめぐる脱線

前にもどこかで書いたが、わたしの場合、中学生のころに、志賀直哉の「剃刀」(新潮文庫『清兵衛と瓢箪・網走まで』のなかに収録されているはず)という短編を読んだのがトラウマになり、以来、床屋は恐怖の場所としてメモリーに登録されている。床屋の店主が、さしたる理由もなしに、ひげを剃っている客の喉元に剃刀を突き立てるという話で、文豪志賀直哉がまさかそんな話を書くと思っていなかったわたしは、これを読んで床屋に行くのがすっかり怖くなったのだった。この短編を読んでいる人ならだれでも同じようないやな記憶を床屋と結びつけて持っているに違いない。しかし、これはあまり一般的な感情ではないようだ。少なくとも、映画のなかで床屋の剃刀が凶器として描かれることはあまりなかったような気がする。

マッド・ドクターがメスを振り回してあたりが血の海になるホラー映画ならいくらでもあるだろうし、歯医者だって、『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』みたいにサディスティックなイメージと結びついて描かれる場合が少なくない。しかし、刃物を日常的にあつかう職業である床屋が恐怖と結びつくことは意外と少ないようだ。西部劇のなかでは、床屋が危険に満ちた場所になることが多いが、それはそこが敵の拳銃に無防備にさらされる空間だからであって、カミソリが脅威となるからではない。脱獄犯や脱走犯は、たいてい、身なりを整えるために最初に床屋に立ち寄るのだが、なぜかそこに警官がぶらりと現れて、新聞を読みながら世間話をはじめたりするのが、『仮面の米国』のころからの映画の紋切り型である。ここでも、理髪師じたいは何ら危険な存在ではない。それどころか、『大統領の理髪師』の主人公のように、大統領のお抱え理髪師となってしまったがために、カミソリを握るたびに顔を傷つけはしまいかとびくびくする床屋だっているのだ(これはこれで、怖い体験なのだが)。

もっとも、床屋を離れた場所では、剃刀でひげを剃るという行為と殺意が結びついて描かれることは、映画では決して珍しいことではない。それを自虐的に描いたのがスコセッシの The Big Shave だった。


などという話はどうでもよい。『スウィニー・トッド』はティム・バートン久方ぶりの傑作なので、まだ見ていない人は見に行きましょう(『ビッグ・フィッシュ』と『チャーリーとチョコレート工場』は、わたしにはいまいち乗れなかったのです)。