明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。


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神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

役に立たないかもしれないいくつかのトリヴィア


マリオ・バーヴァの Rabid Dogs には、強盗たちによって人質にされた若い女が、服を着て立ったまま放尿を強要されるシーンがある。すぐに気づいた人もいると思うが、ウェス・クレイヴンの『鮮血の美学』にもこれとまったく同じ場面があるのだ。ウェス・クレイヴンのそれは非常に有名で、ホラー映画についてのなにかのドキュメンタリーで、スコセッシもたしかこの場面にふれていたと思う。それにくらべると、Rabid Dogs のほうは日本では未公開であることもあり、バーヴァが同じようなことをやっていることは、あまり知られていない。

実をいうと、『鮮血の美学』のほうが Rabid Dogs のあとで撮られたものだとてっきり思いこんでしまっていたのだが、さっき調べてみたら、Rabid Dogs のほうが『鮮血の美学』のあとで撮られていた。この2作品のあいだに影響関係があるのかどうかわからないが、この符合はなかなかに興味深い。

そもそも、『鮮血の美学』はベルイマンの『処女の泉』を換骨奪胎した作品であり、その『処女の泉』は黒澤明の『羅生門』に影響されて撮られたものである。黒沢→ベルイマン→クレイヴン→バーヴァというわけか。映画は越境するね。



(表紙の写真でも、やっぱり
白い球体をもってます。)


スコセッシといえば、小中千昭『ホラー映画の魅力 ファンダメンタル・ホラー宣言』という本のなかにも、スコセッシとバーヴァのつながりを示すエピソードが出てくる。『最後の誘惑』で少女の姿をした悪霊が出てくるのは、フェリーニが撮った『世にも怪奇な物語』(67) のなかの短編『悪魔の首飾り』の影響かと訊かれたスコセッシが、「いやマリオ・バーヴァの映画からの引用だ」と答えたというのだ(バーヴァの映画というのはいうまでもなく『呪いの館』(66) のことである。この映画にも、白いボールをもった不気味な少女が登場する。)。これを読んで、そうだったのかと思わず膝をたたいて、膝を痛めてしまったが、考えてみたら、わたしはまだ『最後の誘惑』を見ていないのだった。うまく感動し損なって、損をした気分だ(そういえば、『ディパーテッド』もまだ見ていなかったことを思い出す)。今度は、バーヴァ→フェリーニ→スコセッシというわけか。ここでも映画はつながってる。さらにいうなら、『悪魔の首飾り』にはジョルジュ・フランジュの処女短編 Le Métro が影響を与えると思うのだが、これは裏を取ったわけではない(ついでですが、Criterion からでている『顔のない眼』の DVD には、あの傑作短編『獣の血』が特典としてはいってます。日本の DVD 会社はどうしてこういう粋なことができないんだろうね)。



日本でも、『悪魔の手鞠唄』なんてのがあったりする。洋の東西を問わず、少女と球体がこうやって結びつけて連想されるというのは興味深い。フェリーニが示唆しているように、球体が生首を連想させるからなのだろうか。それとも、人間の運命を手の上でもてあそぶものの象徴なのか。民俗学的、精神分析学的、図像学的研究が必要なところだが、暇がないので他の人にやってもらおう。


しかし、考えてみたら、スコセッシってホラー映画はまだ撮ったことがなかったんじゃなかったっけ? と、ふと気づく(The Big Shave は、まあ、ホラーといえばホラーだったけど)。スコセッシのホラーというのも一度見てみたいものだ。