小説は出自の卑しい芸術だといわれるが、映画にくらべればまだましだ。映画の卑しい出自を確かめるためにも、くだらないホラーなどもたまには見ておく必要がある。
『デス・プルーフ』のタランティーノが影響を受けたといわれているジャーロ映画。連続殺人鬼につけねらわれた女子大生の恐怖を描く。傑作という人もいるが、それほどたいした映画ではない。とくに前半は、ただバカみたいに人が殺されてゆく一方で、ミスリーディングを誘う思わせぶりな描写によって、観客の探偵趣味を刺激するという平板な演出で、『モデル連続殺人!』などのどちらかというとつまらないときのマリオ・バーヴァ作品から独自の美学を取り去ったらこうなるといった仕上がりになっていて、退屈。しかし、後半、田舎の別荘に行った女子大生たちが殺人鬼に全員殺されてしまうあたりからが、ちょっと面白い。
女子大生のなかで一人だけが生き残って家のなかに隠れていると知らずに、犯人は自分が殺した死体をのこぎりで刻みはじめる(残念ながら、残酷描写はわりと控えめです)。ここは女子大生の視点から一貫して描かれていて、『アラビアン・ナイト』の一挿話や日本の昔話などにときおり描かれる恐怖体験を思い出させる、プリミティヴな恐怖を作り出している。最近では、『ホステル』のラストの部分が、こういう悪夢にも似た体験を巧みに描くことに成功していた。
これもタランティーノがらみ。『キル・ビル』の「青葉屋」の場面はこの映画からインスピレートされたものだといわれている。二刀流の武術の達人が、己を過信したために片腕を失い、以後二度と剣をもつまいと誓うが、親友の敵を討つために、一度自分を負かした凄腕の武人ともう一度相まみえる。主人公が我慢に我慢をかさねて最後の最後に爆発するという古典的な構成の作品だが、ワイヤーにもキャメラのトリックにも頼らない潔いバトルシーンは、武侠映画の一つの完成系を示している。
英語タイトルは The New One-Armed Swordsman。ちなみに、"swordsman" は、「ソーズマン」と読むのが普通(「w」の音は発音しない)。「スウォーズマン」などという邦題がまかり通っているが、間違いです。
ダン・カーティス『家』
前々から見たかった映画。かなり面白い。「呪われた家」ものとしては、評価の高いロバート・ワイズの『たたり』(と、その惨憺たるリメイク)よりも、こっちのほうが断然わたしは好きだ。いわゆる超常現象が起きるのは最後の20分程度で、それまでは、画面に映っているのを見る限り、これといって異常なことはなにも起きないし、館じたいもとくに不気味に描かれているわけではない。ただ、その館には、入ってはいけない部屋が一つだけあり、その部屋を中心に館全体が、そこに引っ越してきた家族をゆっくりと狂わせてゆく。この「ゆっくりと」というのがいい。テンポは遅いが丁寧に描かれているので、緊張は少しもとぎれない。むしろ、テンションはしだいに高まっていき、ラストの階段をゆっくりと上っていくアクションとともにクライマックスに達する。ジェットコースターのような映画に慣れてしまった、いまどきのほしがり屋さんの観客にはあまり受けないかもしれないが、わたしはかなり気に入った。なによりも、失礼を承知で「ホラー顔」と呼びたいカレン・ブラックがよい。
『影なき淫獣』はともかく、ほかの2作を「B級」と呼ぶのは失礼かもしれないが、なんとなくこのカテゴリーに。ここでの「B級」は世間で軽んじられているジャンルの作品といったぐらいの意味です。