明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。


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神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

『それぞれのシネマ ~カンヌ国際映画祭60回記念製作映画~』


カンヌ映画祭のコンペ出品作の一部が発表された模様。フランスからはアルノー・デプレシャンフィリップ・ガレルの新作が出品される。アメリカからの出品作は少ないようだが、イーストウッドアンジェリーナ・ジョリー主演で撮った誘拐サスペンス「The Changeling」がはいっているようなので、期待したい(というか、早くみたい。サスペンスはひさしぶりじゃないの?)。しかし、もっとも話題になっているのはやはり、スピルバーグの「インディ・ジョーンズ」シリーズの新作のようだ(ただし、オープニングはウディ・アレンの新作との噂もある)。


『それぞれのシネマ ~カンヌ国際映画祭60回記念製作映画~』


フランスでこの映画の DVD が発売になったことはすでに書いたが、これはその日本版。33人の映画監督が撮りあげたたった3分の作品を集めたオムニバス映画である。「映画館」を唯一の共通テーマに、各作家たちのアプローチはそれこそ多種多様である。あくまで世界の一瞬を断片として映しだそうとするものもいれば、アモス・ギタイのように3分間のなかに過去の集積としての現在を閉じこめて描こうとするものもいる。ここに描かれている映画館の表情も、そこで上映される映画も実に様々だ。日本の歌謡曲を中国語で吹き替えた曲が流れるなか、人気のない廃墟のようなスクリーンで『少女ムシェット』が上映されるホウ・シャオシェンの映画館。ゴダールの『軽蔑』を見ながら涙する女をワンカットで屋外までおいかけていくイリニャトゥの作品は、『女と男のいる舗道』でアンナ・カリーナが『裁かるるジャンヌ』を見て涙するシーンを意識したものだろうし、アトム・エゴヤンの作品に描かれる映画館では、『女と男のいる舗道』のまさにそのシーンが上映されている。思い出の映画を一つひとつユーモラスにふりかえってゆくナンニ・モレッティの短編のように、私的映画史を描いた作品がある一方で、リュミエールの『工場の出口』を上映する映画館を描いて、映画そのものへのオマージュを捧げるアキ・カウリスマキの作品もある。『キッズ・リターン』を上映する映画館の映写技師を自らが演じている北野武の作品には、かれの近作に顕著な自己言及の迷宮が露呈しているし、同じく、映写室から自作を見つめるエリア・スレイマンの作品にはパレスチナのおかれている状況が風刺されているのだろう。映画に魅せられている観客の表情をとおして、映画館で映画を見る喜びを素朴に描いた作品があるかと思えば、チリの映画作家ラウール・ルイスは、映画への謎めいた考察を披露して、いつものようにわれわれを煙に巻く。

3分はあっけなく思える一方で、とても長くも感じられる。3分あれば、そこに一つの世界を作りあげるには十分だとおもいつつ、かつてゴダールがそうしたように、短編映画ははたして映画なのだろうかとラディカルに問いかけてみる。答えは出ないが、すべてはここからはじまったのだ。リュミエールから、いやリュミエールの闇のなかから。