明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。


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神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

フリッツ・ラング『メトロポリス』


フランチェスコ・ベルトリーニとアドルフォ・パドヴァンが監督した『地獄篇』(L'inferno, 1911) という映画の米版DVDを見た。

日本では未公開の作品なので、知っている人は少ないだろう。『カビリア』以前に撮られたイタリア映画の大作である。ダンテの『地獄篇』を映像化したもので、大がかりなオープンセットを組み、当時としてはかなり斬新であったろうと思われる特殊効果を駆使して、ダンテの世界をなかなかがんばって映像化している。クローズアップはまだ発明されておらず、ロングショットだけで撮られた映像がつづく。男性の全裸姿を最初に見せた映画ともいわれるが、本当かどうかは知らない。

この DVD でびっくりしたのは、伴奏音楽に女性ヴォーカルの声がはいった曲を使っていたことだ。最初はエンヤの曲かと思ったのだが、あとで調べてみたらタンジェリン・ドリームだった。この曲がひどい。いや、タンジェリン・ドリームは嫌いではないグループだし、曲それ自体も悪くはないのだが、映像とまったくあっていない。ただただ耳障りだった。発売者がそのままでは売れないと考えたのだろうが、そもそもヴォーカルのはいっている曲をサイレント映画に使う神経がわからない。


『地獄篇』の DVD とほぼ同時に見たのでつい比較したくなるのが、ムルナウ財団によってデジタル修復をほどこされたフリッツ・ラング『メトロポリス』の DVD だ。この DVD には、ゴットフリート・フッペルツが『メトロポリス』のために作曲し、1927年のベルリンでのプレミア上映のさいに演奏されたまさにその曲が付されている。当時の伴奏音楽を再現することに必ずしも意味があるわけではないが、作品全体がきわめて音楽的に構成され、音楽を前提に作られているといってもいい『メトロポリス』の場合、これはきわめて重要なことだ。そのオリジナル・スコアが残っていたことも幸運だった。

ヴィルヘルム・フリードリヒ・ムルナウ財団は、ラングの『ニーベルンゲン』や『ドクトル・マブゼ』、スタンバーグの『嘆きの天使』など、ウーファ、ウニヴェルスム、トビスといった映画会社によって製作された黄金時代のドイツ映画を保存と修復する活動を通じて、ドイツの映画文化を広く世に知らしめることにつとめていることで知られる。

世界各地に散らばっていたプリントを集めて、きめ細かなデジタル修復をほどこし、可能なかぎりオリジナルに近い状態にもどされた作品は、そのまま DVD化されてつぎつぎと発売されている。Criterion にくらべれば扱っている作品の幅は狭いが、パッケージとしてのクオリティの高さでは引けをとらない。ムルナウ財団がからんでいたら、その DVDはとりあえず信用していいだろう。アメリカの DVD会社 KINO も、ドイツの古典映画に関してはムルナウ財団と提携しているそうである。

この『メトロポリス』の DVD でもデジタル修復の威力が遺憾なく発揮されている。ゴミやほこり、フィルムの雨などがほとんどないクリアな映像は、きれいすぎてときにやり過ぎと思えることがないわけではない。しかし、こういうきれいなプリントを一度見てしまうと、なかなか後戻りはできないだろう。

しかし、最初に断っておかねばならない。とりあえずの決定版といっていいこのF.W.ムルナウ財団版の『メトロポリス』でさえ、真の『メトロポリス』からほど遠いコピーの一つに過ぎないのだ。修復作業に実際に関わったマーティン・ケルバーがいうように、「そのオリジナルは1927年の4月に失われてしまった」のである。

メトロポリス』の題で配給会社やアーカイヴによって提供され、ビデオとして販売され、時にはテレビで放映される作品は、ある時はより多く短縮され、ある時はより少なく短縮されたオリジナルとは異なる様々な別ヴァージョンにほかならない。

マーティン・ケルバー「増幅する『メトロポリス』に関するノート」


メトロポリス』にいったいなにが起きたのか。『メトロポリス』にはいったいいくつのヴァージョンが存在し、それらはいかなる経緯で存在するに至ったのか。上記のケルバーのテクストは、これらのことについて詳細に語っているが、何せ事態が込み入りすぎていて、読んでいてもよくわからない。簡単に言うならこういうことだ。

1927年1月10日にベルリンのウーファ・パラスト・アム・ツォーでおこなわれたプレミア上映のわずか数ヶ月後に、『メトロポリス』の上映は打ち切られる。その理由は明らかでないが、2時間半を超える上映時間がネックの一つだったことは間違いないだろう。その後、アメリカでは大幅にカットされた短縮版が公開されることになるのだが、実は、ベルリンで公開される前の1926年の12月に、『メトロポリス』のフィルムはアメリカに持ち込まれ、配給を任されていたパラマウントの首脳陣のために試写がおこなわれていた。どうやら、そこで早くも短縮版を作る決定が出ていたらしい。長すぎる、わかりにくいという理由で、重要な場面がいくつもカットされ、つじつまを合わすためにインタータイトルの一部が書き換えられたために、話がまったく変わってしまった部分もある。

こうして無惨に改ざんされたプリントがドイツに逆輸入され、このプリントを元に新たに作られたヴァージョンがドイツ当局の検閲を経て、再びドイツで公開され、さらには海外へと輸出されることになったのである。その過程で、サブ・ヴァージョンとでもいうべきさらに劣化したヴァージョンが無数に産み落とされてゆく。2001年に復元版があらわれる以前にわれわれが見ていた『メトロポリス』は、こうしたオリジナルとは大きくかけ離れたものに過ぎない。

むかしは、映画ビジネスの世界にはこういうやくざな連中が跋扈していたのだ(まあ、いまでもたいした違いはないが)。

(理解に苦しむのは、スタンダードもまともに上映できない映画館が平気でつぎつぎと建てられていることだ。むかし、小津安二郎の大規模なレトロスペクティブがおこなわれ、小津のサイレント時代の作品などがはじめてまとまったかたちで公開されたとき、京都では朝日シネマという映画館で小津の作品が上映された。ところが、驚くべきことに、この映画館ではスタンダードの作品が正常なかたちで上映できないのだ。その結果、小津の作品は無惨にも上下を切られてヴィスタ・サイズに近いかたちで上映された。一応抗議はしたが、映画館の構造上、スタンダードで上映するのは無理だという。ばかばかしい、映画館に映画をあわせてどうするのだ。話が逆だろ? そんなの、正方形の額縁しかないので『モナリザ』の上下を切りましたというのと同じぐらい、ナンセンスで無礼なことだというのがなぜわからないのか。)


話がそれた。『メトロポリス』に話を戻そう。

ムルナウ財団による復元がおこなわれる前に、電子音楽で知られるジョルジオ・モロダーによって84年に作られたヴァージョンにもふれておく。彩色をほどこし、ロック音楽の伴奏をつけ、インタータイトルの多くを削除して、鳴り物入りで公開されたこのヴァージョンは多くの問題を含んでおり、様々な批判にさらされた。しかし、残念ながら、このモロダー版のファンが多いこともたしかである。モロダーの姿勢には、ちょうどこの時代にあらわれたMTVの、ご機嫌な音楽さえ流れていれば、バックグラウンドでどんな映像が流れていようとかまわないという発想と同じものがあるように思える。モロダー版が好きだという人がいても別にかまいはしない。しかし、モナリザにひげをつけたデュシャンの絵がダ・ヴィンチの『モナリザ』とは別物であるように、モロダー版の『メトロポリス』はラングの『メトロポリス』とは別物である。

とはいえ、『メトロポリス』に新しい光をあて、広く世に知らしめたという点では、モロダーの仕事にも一定の評価は与えるべきだろう。事実、モロダーの姿勢とは対極にあるものとして語られることも多いムルナウ財団の『メトロポリス』修復における中心的人物だったエンノ・パタラスも、モロダーの仕事にたいする賛辞の言葉を残しているのだ。サイレント映画メトロポリス』にとって、音楽はなくてもよいたんなる付属物ではなく、決定的に重要な存在であることは繰りかえし語られてきた。1927年にゴットフリート・フッペルツによる伴奏音楽付きで最初に公開されたときに『メトロポリス』を見た観客は、84年の観客がロック音楽を伴奏につけた『メトロポリス』と同じようなインパクトを受けていたのかもしれない。そう考えるなら、モロダーの仕事にも意味はあったのだ。モロダー版の『メトロポリス』はオリジナルのフィルムとはかけ離れていたかもしれないが、それが現象としてもたらした効果はある程度再現することに成功していたかもしれないのである。


メトロポリス』からカットされたシーンの大部分はいまだ発見されていない。しかし、幸いなことに、シナリオや、オリジナル伴奏音楽のスコア、検閲に通されたときの書類などが残されている。これら様々な資料をとおして、ムルナウ財団は、できうるかぎりオリジナルに近いかたちで『メトロポリス』を復元しようと試みた。フィルムが失われてしまった部分は、残された資料などを参考にしてインタータイトルで補い、字幕の字体もドイツで最初に上映されたものと同じかたちを使うなどして、可能な限り忠実にオリジナルが再現されている。


特典映像がまた素晴らしい。DVDの特典についている Gallery というのは、作品のポスターの写真を数枚ならべてお茶を濁しただけというおざなりのものが多いのだが、この DVD のギャラリーには、ここでしか見られないような貴重な写真ばかりが、これでもかというぐあいにならべられていて圧倒される。「メトロポリス事件」と題されたドキュメントも、ドイツ映画史のなかに『メトロポリス』を位置づけて解説した手堅い内容で、作品の歴史的コンテキストを理解するのに役立つ(当時のセットの写真を見ていて、むかしベルリンを旅したときにウーファの回顧展をやっていたので思わずはいってしまったことを思い出した。ウーファの様々な資料を展示した展覧会で、たしか『メトロポリス』のバベル・タワーの模型もあったはずだ。あれはレプリカだったのだろうか)。


メトロポリス』なんて何度も見てるよという人にこそ見てほしい DVD である。

(以上は、わたしが見た英語版の DVD を参照しながら書いた。紀伊国屋から出ているのはその日本語移植版だと思うので、内容は同じはずだが、ひょっとしたら細かい違いがあるかもしれない。)