明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。































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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

ミハイル・カラトーゾフ『怒りのキューバ』

見るからにとてつもなく、息をのむほど美しい、滑稽で荘厳な作品、『怒りのキューバ』は、いつもの判断基準をことごとく狂わせてしまうので、いかなる評価もあてはまらない。1964年に撮られた、錯乱し、叙情的で、叙事詩的な、共産主義プロパガンダ作品。製作に少なくとも3年を要し、上映時間は 141 分。大げさでグロテスクすぎて、「傑作」という言葉は似あわないが、傑作と呼ぶ人がいてもわたしは気にしないだろう。「必見」という言葉のほうがもっと的に近いだろうが、この作品がだれにとっても必見というわけではないことはたしかである。16ヶ月前にはじめて見て以来、この映画はわたしの頭から離れないが、それでも、この作品を見て腹を立て、あるいは退屈する人がいないとはいえない。見る価値がある? 欠点を補う部分がある? 価値がない? この映画はそういったカテゴリーのいずれにも当てはまると同時に、どれにも当てはまらない。簡単に言うなら、この世界はこういう異形の作品を許してくれないのだ。

Essential Cinema: On the Necessity of Film Canons


1995年12月8日の「シカゴ・リーダー」に発表された記事の冒頭で、ジョナサン・ローゼンバウムは『怒りのキューバ』をこのように評している。

『怒りのキューバ』は、スターリン死後の50年代後半に「雪解け」派の詩人として若い世代の代弁者となったエヴゲニー・エフトゥシェンコが、革命直後のキューバを訪れて書き上げた叙事詩『わたしはキューバ』を映画化したものであり、映画の原題 YA KUBA も同じく「私はキューバ」を意味する。1964年に撮られたこのソ連キューバの合作は、非共産圏のみならず、ソ連でもキューバでも不興を買い、長らくまともに上映されることがなかった(キューバでは、この映画は、「私はキューバではない」などと揶揄されたという)。

1992年、テルライド映画祭で字幕なしのプリントが、監督のミハイル・カラトーゾフへのオマージュとして上映されたことで、この作品はようやく世界的に認知されるきっかけをつかむことになる。フランシス・フォード・コッポラマーティン・スコセッシが、この映画を見て絶賛し、二人の尽力によって、『怒りのキューバ』はついにアメリカで配給されるにいたる。ローゼンバウムの記事もこのころ書かれたものだ。

手元の資料によると、日本で公開されたのは 1968年とある。これは世界的に見て非常に早い時期の公開だったといえると思うのだが、当時この作品がどのように受容されたのかまではわからない。いずれにせよ、その後長い間まったく忘れられていたことだけはたしかである。数年前に、DVD が発売されているが、それもすでに中古以外は入手困難な状態になっている。「この世界はこういう異形の作品を許してくれないのだ」という文句も、あながち大げさとはいえないようだ。


海へといたる大河にそって深いジャングルを映しだす美しい空撮によって映画ははじまる。広角レンズを使ってローアングルから捉えられた波打ち際の幻想的な風景に、突如、「私はキューバ」と自らを名乗る女性の声のナレーションがかぶさる。「かつてこの土地を訪れたクリストファー・コロンブスは、日記にこう書き記した。『ここは人の目にふれたもっとも美しい土地である』。ありがとう、セニョール・コロンブス。あなたにはじめて会ったとき、わたしは笑い、そして歌っていた。棕櫚の葉を揺らしてあなたの舟を出迎えた。その舟は幸福をもたらしてくれるものと思った。──わたしはキューバ。舟はわたしの砂糖を奪った。そして涙を流すわたしを残して去っていった。砂糖というのは不思議なものね、セニョール・コロンブス。なかには涙が詰まっているというのに、甘い味がする」。キューバの声がそう語るあいだ、現地の人間がこぐ小舟の上から、キャメラが両岸の貧しい光景を映しだしてゆく(このあたりでわたしはエイゼンシュタインの『メキシコ万歳』を思い浮かべたのだが、これはごく普通の反応だったらしい。あとで読んだローゼンバウムの文章のなかでも、アウトサイダーの視点から撮られたラテン・アメリカのドキュメントとして、『メキシコ万歳』とオーソン・ウェルズの『イッツ・オール・トゥルー』が挙げられていた)。

ついで場面は一転して、都会の真ん中にあるビルの屋上で、ブルジョアたちが歌って踊ってのらんちき騒ぎにふけっている。踊り浮かれる人々をとらえていたキャメラは、さっきまではるか下に見えていたプールのある下のフロアまで、手すりを越えてするすると舞い降り、人のあいだを縫うように進んで、プールサイドの水着美人をとらえたかと思うと、あろう事か、プールのなかにまではいっていって、泳ぐ人たちを水中からとらえてみせる。キャメラの動きがあまりにも大胆でなめらかすぎて、この場面が最初からここまでとぎれることなくワンカットで撮られていることに気づかない人もいるかもしれない。

ローゼンバウムは、この映画で多用されているローアングル、広角レンズ、アクロバティックなトラッキング撮影などの手法に、オーソン・ウェルズの、とりわけ『黒い罠』との類縁性を見て取っている。キャメラを担当したのは、『鶴は飛んでゆく』(57)『送られなかった手紙』(60) でもミハイル・カラトーゾフと組んでいるセルゲイ・ウルセフスキー(ちなみに、『送られなかった手紙』は、タルコフスキーと『地獄の黙示録』のコッポラに影響を与えたともいわれる作品で、これもやはり党から「形式主義的」とのレッテルを貼られて批判された)。この映画の自由奔放なキャメラワークが、「個人的すぎる」あるいは「退廃的すぎる」という理由で共産党の幹部たちに嫌われたことは容易に推測できる。しかし、東西のイデオロギー闘争には興味のないわれわれにとって、このマニエリスムこそがこの映画の最大の魅力であることは間違いない。


作品の全体は、4つのエピソードによって構成されている。その詳細については語らないが、一言でいうなら、革命直前のキューバの現実が4つの視点から描かれていると要約することができるだろう。このころのキューバは、事実上アメリカの植民地支配下にあって、その支配の構造をバティスタによる軍事独裁政権がささえていた。最初のふたつのエピソードでは、この現実のなかで苦しむ民衆の姿が描かれるのだが、そこにこめられた反アメリカのメッセージはだれの目にも明らかだろう。『戦艦ポチョムキン』を思い起こさせる3つ目のエピソードでは、この圧政のなかで自由を希求する民衆のエネルギーがついに爆発し、そして結局は潰えてゆくのだが、それはペシミズムというよりは、エネルギーの余波を残すかたちで4つ目のエピソードへと受け継がれてゆく。

キューバといえば、30年代初頭のキューバを舞台に、マチャード大統領による独裁政権を打倒せんとする反政府レジスタンスの活動を描いたジョン・ヒューストンの忘れられた傑作『ストレンジャーズ6』(They were strangers) が思い出される(それにしてもこの DVD タイトルはひどい。『ゴングなき戦い』(Fat City) といいこれといい、ヒューストンの未公開作の邦題はひどすぎる)。そのマチャードを倒して大統領に居座ったのがバティスタだったのだ。そして、バティスタを倒して現れたカストロ政権が実際にはどのようなものだったのかはだれもが知るところだ。それを描いた映画も枚挙にいとまがない(『ノーボディ・リスンド』『夜になる前に』など)。そう考えると、この国は何度同じことを繰りかえしているのだと思えてくるが、むろんそれでこの映画の価値がおとしめられるわけでは決してないだろう。


ここに描かれる4つのエピソードは、いま見るとそれほど斬新でもないし、しばしば図式的な構図におさまっている。最初のエピソードに登場する金にものをいわせて娼婦を買うアメリカ人などは、ローゼンバウムも正しく指摘しているように、ハリウッド製の反共映画に登場する紋切り型のソ連コミュニストとさしてかわりがない(ちなみに、このアメリカ人を演じているのはフランス人のジャン・ブイーズで、この後、『戦争は終わった』『Out 1』、最近では『ニキータ』など数々の作品に出演しているベテランである)。たしかにこれは、簡単に言うなら、共産主義プロパガンダ映画である。しかも、ここで描かれる革命の夢は、悪夢であったことがすでにわかっている。

しかし、この映画にはそんな悪夢の予感はない。現実の悪夢から抜け出そうとするエネルギーを描いたのがこの映画なのだ。作者たちの意図がどうあれ、この映画は現実のドキュメントというよりも、ひとつの夢を描いているように見える。現実の悪夢と、そこから抜け出んとする革命の夢。そのアマルガムであるような夢の持つ迫力が、美学的過剰とでもいえる表現のマニエリスムとあいまって、プロパガンダ映画にありがちなもろもろの欠点を忘れさせてくれる。


わたしはたぶんローゼンバウムほどにはこの映画を評価していない。しかし、この映画の冒頭の十数分間は必見だとだけいっておく。


(写真はビデオ・パッケージ)