シドニー・ポラックが死去。とりわけ愛した監督でもなかったが、ベルギー戦線を背景にした奇妙な戦争映画『大反撃』などがいまは記憶に残っている。
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ここは去年に自主上映活動をはじめたばかりの映画館だが、「日本統治時代の朝鮮映画」特集や「山根貞男連続講座」などの意欲的なプログラムを毎回組んで、サイレント映画やドキュメンタリー、あるいは『スパルタの海』といった、あまり見る機会のない作品を積極的に上映しつづけており、神戸のシネマテークのような存在になりつつある。
ここのプログラムは気になってはいたのだが、場所が遠すぎるし、見たことのある映画がほとんどだったので、いったのは今回が初めてだった。このあたりは震災で甚大な被害を受け、そのどさくさに紛れて住宅整備がなされた。とてもきれいなビルが建ち並んでいるが、活気があるようには見えない。この資料館がはいっているビルも、午後の8時にはほとんどのテナントのシャッターがおり、人気がなくなる。ストローブ=ユイレを定期的に上映していた神戸ファッション美術館があるあたりもそうだったが、こういう作り物めいた町は歩いても楽しくなく、どうも好きになれない。
それはさておき、驚いたのは、この資料館の支配人を古くからの知人がやっていたことだ。東京にいると思っていたら、いつの間にか関西に帰っていたらしい。映写室を見せてもらったりしながらいろいろ話を聞かせてもらったが、会費と入場料はしっかり取られた。そんなに甘くはない。
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さて、今回見に行ったのは小川紳介の弟子として知られるドキュメンタリー作家福田克彦の作品。『草とり草紙』は前々から見たかった作品だ。「三里塚シリーズ」は何度も見ているのでパスしていたが、これは見逃すと今度いつ見られるかわからないので、重い重い腰を上げて見に行ったのだった。
山形ドキュメンタリー映画祭で上映されるまでながいあいだお蔵入りになっていた『映画作りとむらへの道』も同時上映された。小川が福田を一本立ちさせるために撮らせた作品だったのだが、人に見せられるレベルにないとして封印されてしまった作品である。『三里塚 辺田部落』を撮っていた時期の小川プロを内側から描いたもので、撮影スタッフがラッシュを見ながら話し合う様子などが描かれる。たしかに、メイキングとしては舌足らずな印象を受ける作品だ。しかし、いろいろな意味で興味深い。
『映画作りとむらへの道』を見ていると小川紳介のカリスマ性がよく伝わってくる。小川が話しはじめると、つい聞き入ってしまうというか、こういう人がそばにいるとなかなかその磁場から抜け出せないだろうなと思う。福田克彦が、小川プロが去ったあとの三里塚にひとりで戻っていって『草とり草紙』を撮った気持ちもわかるというものだ。
『草とり草紙』は、三里塚闘争においてだれひとり知らぬもののない反対派農民のシンボル的存在だった女性、染谷カツを、そんな過去にはほとんどふれることなく、彼女が草をとり、種をまく農作業の所作に、これといって内容のない彼女のひとり語りを重ねて描いた映画である。
女性のひとり語りといえば、汚辱にまみれた自己の半世紀をふりかえる老婦人のモノローグをとおして、中国共産党の闇を描いたワン・ビンの『鳳鳴 中国の記憶』が記憶に新しい。この2作品にはたしかに似ているところがある。女性の独白で作品が成り立っているというところだけでなく、福田克彦が選んだ8ミリというメディアも、当時はいまのワン・ビンにとってのデジタル・カメラに相当するものだったのだろう。しかし、作品から受ける印象はまったくちがっている。
染谷カツの話は、重要な歴史的証言とでもいったものとはほど遠く、ほとんど無駄話に近い。順を追って語られるフォン・ミンの整然とした話とはちがって、染谷カツの話は絶えず前後して、脈略がなく、時には同じ話が繰りかえされもするのだが、繰りかえされるたびに彼女の話は微妙に食い違いを見せてゆく。福田はそれをあえて整理することなく、聞いた順にそのままつなげていったように見える。
確かめる方法があるわけではないが、フォン・ミンの語る体験談には、まごう事なき真実のオーラのようなものが感じられる。これとは逆に、染谷カツの語りは、嘘ではもちろんないにしても、語れば語るほど「ものがたり」に近づいてゆく。
こうして最終的に浮かび上がってくるのは、個をとおしてあらわれる小宇宙とでもいったものだ。山形に移住してからの小川紳介も、こうした世界に近づいていったように見えるが、それでも『ニッポン国古屋敷村』や『1000年刻みの日時計』には、男性原理とでもいったものがつねにつきまとっていたように思う。「神話」とか「共同体」といった大仰な言葉がいつも見え隠れしていたというか。『草とり草紙』にはそういうところが全然ないのだ。
『草とり草紙』は小川紳介がいなければ撮れなかった作品であると同時に、小川伸介がいたら撮れなかった映画であるといっていいだろう。それがこの映画を希有な作品にしている。