スタニスワフ・レムが『枯草熱』という小説を書いているということをはじめて知ったときは、その「枯草熱」という未知の言葉に魅せられたものだが、だいぶ後になって、枯草熱を意味する "hay fever" という英語が「花粉症」の意味でも使われることを知って、たちまち言葉の魔力は失われてしまった。レムの代表作のひとつが「花粉症」などという無粋なタイトルにならなかったことは、喜ばしい。
魔力といえば、"CRITERION COLLECTION" から出ているベンジャミン・クリステンセンの『魔女』には、特典映像として、1968年にアメリカで公開された「アンダーグラウンド・ヴァージョン」(?)が収録されている。クールなジャズ音楽を付され、ウィリアム・バロウズがナレーションを担当しているトーキー・ヴァージョンである。冒頭で朗読される変な詩もたぶんバロウズのものだろう。サイレント映画というのはそれ自体では「不完全な」ものだと人は考えてしまうようだ。着色したり、派手な音楽をつけたり、なにかつけ加えないと気が済まないらしい。オリジナルよりも20分以上短いのはまあいいとして、画面が上下左右カットされて、少し狭くなっているように感じたのは気のせいか(実をいうと、冒頭の部分だけ見てあとは早送りしたのでちゃんと確認していない)。ともあれ、こういう特典映像がついているのはうれしいものだ。紀伊国屋版にはこのヴァージョンははいっていないようだが、これも確認していない。
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6月2日から実施予定だった「ダビング10」が延期に。
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最近読んだ漫画。
仇討ち法が制定される未来というのは現実感が乏しいし、背景でふれられる戦争にも説得力はないように思える。しかし、この設定が受け入れられるなら、実に面白い漫画だ。こういうデッサンふうの絵は苦手なので、入り口のところで敬遠しかけたが、読みはじめるとはまってしまった。これは映画にしなければと思ったが、熊切によってとっくに映画化されていた(日本映画にはあんまり興味がないので。すいません。しかし、映画のほうは評判はよくない模様)。第10巻がもうすぐ出ます。
八木 教広『CLAYMORE 14』
見た目が同じようなキャラクターばかりが出てくるし、しかもいつも集団戦ばかりなので、だれがだれと戦っているのかわからないことも多々あるがそれでも面白い。寒々とした北の国から帰ってきて少しは暖かくなるかと思ったが、あんまり変わんないか。
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惑星間戦争まで勃発する純然たるSFだが、記憶をなくした主人公の前に謎の女が現れる冒頭の部分はまるでハードボイルド小説のようだ。巨大な陰謀に巻き込まれた主人公は、地球で一度殺されたあと金星でよみがえる。正確にいうと、死ななかったわけでもなく、死んでからよみがえったわけでもなく、第二の肉体として誕生したのである。地球に帰ったかれは、死んだ自分の第一の肉体と対面し、さらには第3の肉体が生まれつつあることを知る。しかし、第三の肉体が生まれるためには、かれは自殺しなければならない・・・なんのこった。わけわかんねぇ。
ひとつの顔の描写で終わるラストのワン・センテンスが衝撃的。
『非Aの世界』は「ワイドスクリーン・バロック」と呼ばれるSFの代表作のひとつ(「ワイドスクリーン・バロック」の意味がわからない人は自分で調べてください。たまに使うことがありますが、わたしも意味はよくわかってません)。Van Vogt の "g" はほんとは発音しないので、ヴァン・ヴォートと呼ぶのが正しいらしいが、もう定着してしまっているのでいまさら変えられないだろう。大胆な作風にはファンも多く、ボリス・ヴィアンもそのひとりで、かれはこの小説をフランス語に翻訳してさえいる。ゴダールもかれに興味を示していた。映画『エイリアン』がヴォークトの『宇宙船ビーグル号』のパクリだというのはSFファンには有名な話。
ちなみに「非A」の「A」とはアリストテレスのこと。アリストテレスの論理学に反する世界観をたたき込まれた人間が「非A人」と呼ばれる。心配しなくても、半分以上ははったりです。