明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。


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神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

ロバート・パリッシュ『決死圏SOS宇宙船』



スピルバーグの「インディ・ジョーンズ」新作はいまさらという気がしてはなから行く気がしなかったのだが、「ユリイカ」のスピルバーグ特集号に掲載された蓮實重彦黒沢清の対談を(冒頭のところだけだが)読むにつけても、やっぱりそうかと思ってますます見にいく気がなくなる。ふたりとも、まあ面白かったけれども、『宇宙戦争』『ミュンヘン』のあとでなぜこれなのかという大きな疑問符が残ったという点では意見が一致していた。
ならば『ハプニング』はどうだろう。シャマランには3作目あたりからほとんど興味をなくしていたのだが、今度の作品はなにやら気にはなる。しかし、期待させて失望させることにかけては、この監督はなかなかのものだ。覚悟して見にいったほうがいいかもしれない。レオス・カラックスの9年ぶりの新作となる『Tokyo!』もそろそろだが、短編だし、コメディだし、あまり成功はしていないかもしれない(というか、カラックスはいままで成功作を撮った試しがあったのか)。となるとやっぱり、黒沢清の『トウキョウソナタ』か。9月末に公開。この夏はこれで決まりだな。


あ、そうそう、『グーグーだって猫である』が映画になりました(興味ないと思いますが、念のため)。



☆ ☆ ☆



ロバート・パリッシュ『決死圏SOS宇宙船』(Doppelgänger,68, 未)


子供のころ見て忘れがたい印象を残しているSF映画ロバート・パリッシュは、アラン・ドワンジョン・フォードなどの大監督のもとで編集の仕事などを長年つとめた後に監督になったベテランで、自伝『わがハリウッド年代記』でも知られる。むろん、子供のころは監督の名前などスルーしていたので、これがあのロバート・パリッシュの作品だと知ったのはずいぶん後のことだ。それどころか映画のタイトルさえ長い間知らないでいた。

日本ではテレビ放映のみで一般公開されたことはなく、いまのところDVD化もされていないようだ(ビデオなら中古で手に入る)。アメリカでも長い間DVDが手に入らない状態がつづいていたが、今年になってやっと再販され、簡単に入手できるようになった(カルト的な作品なので、Amazon のサイトにはかなりたくさんのコメントが寄せられている)。


わざわざDVDを買ってみる人もそんなにいないと思うので、以下、多少ネタバレ気味にストーリーを紹介する。

「決死圏SOS宇宙船」というスペース・アドヴェンチャーを予感させる邦題は、映画の内容をほとんど伝えていない。たしかに宇宙船の不時着など、スペクタクル・シーンも少なくないのだが、この映画の魅力は、不条理といってもいいような不気味なストーリー展開にある。(わたしはふだん、Jamming というソフトを使って、30ぐらいの辞書を串刺し検索して調べ物をするのだが、「決死圏」という言葉は、調べても載っていなかった。『ミクロの決死圏』で作られた造語だったのだろうか。)


地球と同じ軌道上の、太陽をはさんで正反対の位置に、もう一つの惑星が発見されるところから、物語ははじまる。未知の惑星の情報をめぐって共産圏のスパイが暗躍するところなど、出だしの部分はまるでスパイ映画だ(スパイが義眼に隠したカメラを取り出すシーンが忘れがたい)。スパイはあっさりと殺されてしまうのだが、『殺しのダンディ』を思わせる、どこか寂しげで、どんよりとした雰囲気は、作品の最後までつづく。このあたりはいかにもイギリス映画である(そういえば、『殺しのダンディ』もイギリス映画だった。アンソニー・マンの遺作がイギリス映画だというのも、なんだか寂しいが)。

さて、ストーリーの続き。イギリスの科学者ケーンアメリカの宇宙飛行士グレンが、調査のため未知の惑星へと向けて出発する。宇宙船は無事惑星にたどり着くが、着陸寸前にバランスを崩し大破。物語が妙な展開を見せ始めるのはここからだ。

なんとか命をとりとめたふたりの前に、宇宙服のようなものを着た何ものかが空から現れる。宇宙生物に捕まってしまったのか。しかし、意識を失ったグレンが気がつくと、そこは見慣れた地球だった。もうひとりのパイロット、ケーンは意識不明の状態だという。なぜ地球に引き返してきたのかと、宇宙局の尋問を受けるグレン。しかし、彼には地球に引き返した覚えはない。地球から惑星に到着するまでの片道の記憶しかないのだ。おかしなことはほかにもあった。地球と惑星を往復するには6週間かかるはずなのに、宇宙船は予定の半分の3週間で地球に帰ってきたことになっている。やがてグレンは奇妙な事実に気づく。たしかにここはなにもかもが地球にそっくりだ。だがたったひとつだけちがう点がある。ここではすべてが左右逆になっているのだ。まるで鏡の中に映った世界のように・・・


SFというよりも、幻想映画、あるいは装われた恐怖映画とでもいったほうがいいかもしれない(考えてみれば、わたしが本当に好きなSF映画というのは、いつもこういうタイプだったような気がする。『ボディ・スナッチャー/盗まれた街』とか、『宇宙船の襲来』とか)。たったひとつのアイデアだけで作られたような単純なストーリー・ラインは、いまの観客にはシンプルすぎるように感じられるかもしれない(上映時間もわずか1時間20分程度)。しかし、分身、鏡世界、といったテーマはいまでも興味深いし、演出も手堅く効果的だ。なによりも、全編に漂う暗さがいい。鏡を用いた幕切れのシーンも素晴らしいが、あのラストはいまの観客にはなかなか受け入れられないだろう。


この映画のプロデューサーは、 「サンダーバード」シリーズなどで知られるジェリー・アンダーソン。そっちの方面のファンには、この映画のミニチュア・セットは涙ものらしいが、そのへんのオタク的興奮はわたしにはわからない。とはいえ、特撮はいま見ても非常によくできている。『2001年宇宙の旅』と比較する声が多いが、わたしとしては、円谷プロとくらべても遜色はない出来だといっておく。