とくに書くこともないので、最近見た DVD をいくつか紹介する。
リチャード・コンプトン Macon County Line (74)
ヒッチハイクした娘を乗せてアメリカ南部の田舎町をドライブしていたふたりの青年が、途中で車が故障して、一軒家の近くで野宿する。その家は、かれらを怪しんで尋問してきた警察官の家だった。さらに悪いことに、かれらの来る直前に、その警察官の妻は、二人組の強盗によって、レイプされて惨殺されていた。帰宅して妻の死体を発見した警察官は、青年たちの仕業だと勘違いし、問答無用でライフルをぶっ放しながら彼らを追い詰めてゆく・・・。主要な登場人物が最後に死んでしまうというのは、70年代のアメリカ映画ではごく普通のことだったが、いま見ると新鮮に思える。無軌道な若者たちが主人公というのも、この時代のいわゆるアメリカン・ニューシネマの特色である。しかし、実際にあった事件をもとにしているせいか、アメリカン・ニューシネマによく見られた「抑圧的な社会と自由を希求する若者たち」といったたぐいのテーマ性は見当たらない。あまり野心を感じさせないところが、逆に好感が持てる。たいした映画ではないが、ラストの警官と若者の撃ち合いのところはなかなかの迫力だ。意外な結末は、これが作り話なら、あざとすぎると思うところだろう。これが実話だというから驚く。日本では未公開だが、この作品にインスパイアされて翌年撮られた一種の続編 Return to Macon County のほうだけは、『グッバイ・ドリーム』という題でビデオになっている。
ジュールス・ダッシン『真昼の暴動』
『裸の町』のマーク・ヘリンジャーがその前年に同じダッシンと組んで撮った監獄サスペンス。『真昼の暴動』『裸の町』『深夜復讐便』『街の野獣』の4作は、47年から50年にかけてダッシンが立て続けに撮ったフィルム・ノワールとしてひとまとめに語られることが多いのだが、日本では『裸の町』と『街の野獣』だけが有名で、残りの2作はあまり注目されているとはいえない。だから(というか、わたしが見逃していただけなのだが)、『真昼の暴動』が日本で DVD 化されていることも、最近まで知らなかった。(ちなみに、「カイエ・デュ・シネマ」に載った今年5月のダッシンの死を伝える記事では、「『深夜復讐便』と『街の野獣』がかれの初期の代表作である」と書かれている。何度もいっているが、日本でポピュラーな作品と外国での評価は微妙にずれているものだ。)一言でいうなら、『抵抗』や『穴』と同じ脱獄ものになると思うのだが、脱獄の過程よりも、サディスティックな看守長と囚人たちとのしだいに緊張感をましてゆく対立関係のほうに映画の焦点はある。どちらかというとひ弱な印象のあるヒューム・クローニンが、脱ぐと意外にも筋肉隆々でひいてしまう。ともあれ、ナチス将校を思わせる残忍な看守長の役は、見事にはまっていた。
わたしが見た Criterion の DVD には、フィルム・ノワールの研究者として有名な James Ursini と Alain Silver のふたりが音声解説をつけている。この作品をフィルム・ノワールと呼ぶのには多少の抵抗はあるが、夜を基調とした重苦しい雰囲気はフィルム・ノワールのそれに近いといえる。ときおり挿入される囚人ひとりひとりの過去を説明するフラッシュ・バックもことごとく夜の場面であり、また閉塞感をふかめるフラッシュ・バックの使い方自体が、フィルム・ノワール的である。
今回、マーク・ヘリンジャーが『真昼の暴動』が公開された年に亡くなっていることをはじめて知った。40代半ばという若さだ。翌年公開された『裸の町』がダッシンと組んだ2本目であり、ヘリンジャーの最後のプロデュース作品ということになる。ダッシン自身は『真昼の暴動』のさいのヘリンジャーの干渉に満足していなかったようだが、作品の完成度は非常に高い。日本で評価が低いのが不思議である。
Land of Promise - The British Documentary Movement 1930-1950
「1932年から46年までのあいだ、映画史は2つの例外を除けばそのままハリウッドの歴史である。その例外とは、ひとつは、時に“詩的レアリスム“の標題のもとに一括されるフランスの映画監督たちであり、もうひとつは、イギリスのジョン・グリアスンと彼のグループによるイギリス・ドキュメンタリー運動の発生である」、とジェイムズ・モナコは書いている。BFI から発売された4枚組 DVD Land of Promise - The British Documentary Movement 1930-1950 には、そのイギリス・ドキュメンタリーのエッセンスが詰まっている。イギリス・ドキュメンタリーとは、大恐慌後の不況をへて第二次大戦にいたる激動の時代のイギリスを背景に、映画を通じて社会を映しだすと同時に、社会を変革する道具として映画を組織しようとした運動、とひとまずはいうことができるだろう。
この DVD には、20分程度の短編が50本あまり収められているのだが、それをひとまとめに見てみてまず感じるのは、個人の顔が全然見えてこないということだ。工業化による技術の発展を誇らしげに示す一方で、職人の匠の技を賛美する Industrial Britain, 国家の未来を担う子供たちの教育事情を描いたバジル・ライトの Children at School, 戦時下にあって家庭の主婦たちの日々の仕事もまた国を支えていることを讃える They Also Serve, などなど、さまざまな角度からイギリスの社会が描かれるわけだが、そこに登場する人々は、社会の一員以上の地位を決して与えられていない。Housing Problems のような作品を見ていると、似たような主題を取り上げたフレデリック・ワイズマンの映画が思い出されるのだが、彼の映画では、そこに登場する個人の職業や役割がまったく説明されないにもかかわらず、その名もない人物が忘れがたい印象を残すことがしばしばある。そのように忘れがたい顔が、この DVD に収められた作品にはほとんどないのだ。
短い時間で有効にメッセージを伝えるという点では、いずれもすぐれた作品であるが、それ以上でも以下でもない作品がほとんどだというのもたしかである。社会を啓蒙する道具として自らを定義づけていたイギリス・ドキュメンタリーは、戦雲がたれ込めはじめると、しだいに国策映画的な趣を強くしてゆく。はたして、このようなドキュメンタリーがレニ・リーフェンシュタールのそれと本質的にどれほどの違いがあるのかという疑問も浮かぶ。
個人的には、ここに収められた作品のなかではひときわ詩的なハンフリー・ジェニングスの諸作品が印象に残った。