明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。










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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

狼男とロイ・ウィリアム・ニール



ずいぶんブランクがあいたので、なかば義務感からなにか書いておこうと思う。


興味をもっている人はあまりいないかもしれないが、今回のテーマは狼男である(ここ数日、狼男がマイブームなので、少々おつきあいを)。


狼男は、戦前のユニヴァーサルが生み出した怪物のひとりとして名高い。人間が狼に変身する現象自体は、旧約聖書の「ダニエル書」で、自分を狼と思い込んで七年間苦しむネブカドネザル王を描いた部分が最古の記述とされ、古くから今日に至るまで、ヨーロッパ各地に様々な伝承がある。しかし、満月を見ると狼に変身するとか、銀の弾に撃たれると死ぬといった、狼男がもつとされる属性は、ユニヴァーサルによってつくられた『倫敦の人狼』『狼男』などの作品によってその後定着したもので、それ以前にはなかったという。だとすると、狼男というキャラクターは、やはりユニヴァーサル映画によってつくり出されたものといっていい。

(狼男については、Wikipedia の「狼男」の項目が短くまとまっていて、とりあえず参考になる。しかし、プロスペル・メリメが「プロスメル・メリメ」となっていたりするのを見ると、知ったかぶりしてでたらめなことも結構書いてあるかもしれない。各自で確認を。)


日本でも、月見うどんで狼男に変身するキャラクターが登場する漫画があったりして、狼男はだれもが知る存在だといっていいだろう。あげればきりがないが、たとえば京極夏彦『ルー=ガルー 忌避すべき狼』といった最近のベストセラー小説も、非常に間接的にではあるが、狼男の伝承を元に書かれている(個人的には、これが最高傑作だと思っているが、京極作品のなかでは『ルー=ガルー』はどうも異色のものらしい。ほかの作品はあまり読んでいないのでその辺はよくわからないが、これ以外の作品はわたしにはぴんとこなかった)。


しかし、それほど有名であるにもかかわらず、狼男の映画は、ドラキュラやフランケンシュタイン、ミイラ男ものとくらべて、なぜか人気がないのが前々から不思議だった。黒沢清の『恐怖の映画史』でも、ユニヴァーサルとハマーによるドラキュラ、フランケンシュタイン、ミイラ男のシリーズについては熱く語られるが、狼男のことはほとんど一行も言及されていない。




『倫敦の人狼』(35)

この怪物を最初に描いたアメリカ映画である『倫敦の人狼』は、日本でも公開されているにもかかわらず、いまではほとんど忘れ去られ、正当な地位をいまだに与えられていないように思える。月の力を吸収するという不思議な花を探しにチベットにやって来たイギリスの植物学者が、そこで謎の怪物に腕を咬まれ、ロンドンに帰国後、自らも怪物へと変身して人を襲うようになるという物語は、古くからある "werewolf" の伝説に、「狼男に咬まれたものも狼男に変身する」、「狼男は満月の夜に狼に変身する」などといった独自のアレンジを加えたもので、現代における狼男の祖型的イメージはこの作品によって確立されたといっていい。

変身すると、「自分がもっとも愛する存在」を殺したいという欲望に駆られ、それ故に、自らの死をひたすら願うという、この映画で描かれる狼男の悲しい性は、その後の作品にも受け継がれてゆく。狼男によって起こされる連続殺人が、ホラーというよりはミステリーに作品を近づけているのも、それ以後の狼男ものの多くに共通する点かもしれない。特にこの作品はロンドンを舞台としているために、切り裂きジャックを否が応でも思い出させる。狼男ものには、多くの点で、『ジキルとハイド』を思い出させるところがあることにも注目したい。




ジョージ・ワグナー『狼男』(「狼男の殺人」)(41)

『倫敦の人狼』はたしかに狼男の最初のスケッチではあったが、この怪物の地位を不動にしたのはやはりこの作品である。『フランケンシュタイン』(31)や『魔人ドラキュラ』(31)に約10年遅れて、戦時中に撮られたために、日本ではいまだ正式には未公開になっている。日本で狼男が映画としては必ずしも評価されていないのには、このタイミングの悪さのせいもあったのかもしれない。

この作品では、狼男に咬まれると狼男になる、満月の夜になると変身するという設定に加えて、十字架を溶かしてつくった銀の弾に撃たれたときだけ死ぬことができるという設定が新たに加わる("wolfbane" 〈トリカブト〉が狼男を連想させる小道具として用いられるようになるのはこの映画からだろうか)。狼男を演じたロン・チェイニー・ジュニアのほかに、クロード・レインズベラ・ルゴシなど、そうそうたる顔ぶれがならぶ。

狼男の造形は、『倫敦の人狼』にくらべてより毛深くなり、ある意味より滑稽になっている(狼男がほかの怪物たちとくらべていささか魅力に乏しいのには、このメイキャップの陳腐さにも理由があるのかもしれない)。




ロイ・ウィリアム・ニール『フランケンシュタインと狼男』(43)

タイトルはきわもの映画を予感させるが、意外とまともな作品である。これ以前にユニヴァーサルで撮られたフランケンシュタイン
と狼男の映画の物語をちゃんと踏まえた上でストーリーがつくられ、ロン・チェイニー・ジュニアがこの作品でも狼男を演じている。とはいうものの、『狼男』のラストで父親に銀の弾で撃たれて死んだはずの狼男が墓のなかからよみがえり、呪われた運命から逃れるために、死の安らぎを求めて、生死の秘密を握るフランケンシュタイン博士に会いに行くという展開は、いささか、というかかなり、無理があるというしかない。

ロイ・ウィリアム・ニールは、トーマス・H・インスの映画に俳優出演するなどサイレント映画時代から活躍する重鎮で、ユニヴァーサルで40年代に撮られたほぼすべてのシャーロック・ホームズものを監督していることで知られる(ただし、それは外国の話で、日本でこの監督のことを知っているのはかなりの映画通だけだろう)。そのなかの一本、『緋色の爪』(1944、未)が、幼いビクトル・エリセが最初に見た映画であるというのは有名な話だ。2007年7月から8月にかけてカナダのオンタリオシネマテークで、エリセが白紙委任されて自ら選んで上映したそうそうたる作品(以下そのリスト)

 『アタラント号』(34, ジャン・ヴィゴ
 『バルタザールどこへ行く』(66, ロベーール・ブレッソン
 『自転車泥棒』(48, ヴィットリオ・デ・シーカ
 『街の灯』(31, チャールズ・チャップリン
 『大地』(30, アレクサンドル・ドヴジェンコ
 『ヨーロッパ一九五一年』(52, ロベルト・ロッセリーニ
 『奇跡の丘』(64, ピエル・パオロ・パゾリーニ
 『キッド』(21, チャールズ・チャップリン
 『リバティ・バランスを射った男』(62, ジョン・フォード
 『極北の怪異』(22, ロバート・フラハティ
 『ナサリン』(58, ルイス・ブニュエル
 『奇跡』(55, カール・ドライヤー
 『河』(51, ジャン・ルノワール
 『山椒大夫』(54, 溝口健二
 『タブウ』(31, ロバート・フラハティF・W・ムルナウ
 『夜の人々』(48, ニコラス・レイ
 『新学期・操行ゼロ』(46, ジャン・ヴィゴ

のなかにも、『緋色の爪』がいささか場違いなかたちで混じっている。


フランケンシュタインと狼男』をエリセが見たかどうかわたしは知らない。しかし、意識を失ってベッドに横たわるロン・チェイニー・ジュニアの足下に、大きな窓から満月の月明かりがゆっくりと差し込んでくる場面を見ていると、『ミツバチのささやき』のエリセはこの映画を絶対に見ているに違いないと確信する。


死んだはずのフランケンシュタイン(怪物のほう)が氷のなかに生き埋めになった姿で発見されるというのは、テレンス・フィッシャーの『フランケンシュタインの復讐』でも踏襲されている。『フランケンシュタインの復讐』では、博士が電気ショックでよみがえらすのだが、この映画では、フランケンシュタインは狼男に肩を揺すぶられただけで目覚める(だったらもっと早く目覚めておけよ)。ほかにも、フランケンシュタインが狼男のいうことだけはなぜか素直に聞くところとか、突っ込みどころは満載だ。



ジーン・ヤーブロー『謎の狼女』(She-Wolf of London, 46, 未)

ロンドンが舞台ということで、『倫敦の人狼』に緩やかにつながるが直接的な関係はない。"werewolf" の伝説が色濃く立ちこめるなかで起きる連続殺人。犯人は後ろ姿から女らしいということだけはわかるのだが・・・。

こんなものまで見る人はあまりいないとは思うが、ネタバレを避けるためにあまり詳しく説明しないでおく。元々ミステリー色の強い狼男シリーズのなかで、この作品はその最たるものといっていい。ホラーと・ミステリーを結合させている点で、テレンス・フィッシャーの『バスカヴィル家の犬』のテイストに近い作品ということができる。

ちなみに、"werewolf" という言葉は、「男」を表す古語 "were" と "wolf" を結合したものだが、男女にかかわらず用いられる。



テレンス・フィッシャー『吸血狼男』(The Curse of Werewolf, 60)

これは、そのテレンス・フィッシャーがハマー・プロで撮った狼男もの。スペインを舞台に、狼男の誕生秘話から、その成長、そして死に至るまでの一生を描いているのが特徴だ。この作品では、狼男はキリストの降臨を祝うクリスマスと同じ12月25日に生まれる。教会で洗礼を受けようとすると、空はたちまち曇り、洗礼の水は激しく沸き立ち、その底に悪魔の姿が浮かぶ(実は、教会の彫刻が水面に映っていただけだったのだが)。狼男役のオリヴァー・リードは、ヘンリー・フル(『倫敦の人狼』)やロン・チェイニー・ジュニア以上に、苦悩を内面化させた説得力ある演技を見せている。世界から呪われた孤独な存在としての狼男は、この作品で一つの完成を見るといっていいだろう。





わたしは以前から、変身を描いた小説に興味があった。そのなかでも特に惹かれるのは、変身を外側からではなく、いわば内側から描いた作品だった。変身した化け物に出会う恐怖ではなく、自分が何物かに変身してしまう恐怖。そういう恐怖を描いた作品だった。いくらでも例はあるが、たとえば、内田百閒の「件」(『冥途・旅順入城式』 (岩波文庫) のなかに入っているはず。要確認)のような作品に、どうしようもないほど惹かれてしまうのだ。

変身を描いた映画は数限りなくあるが、わたしが心から魅了された作品は数えるほどもない。狼男のテーマにはたしかに惹かれるが、作品のほうは必ずしも成功しているとはいえない。映画ではどうしても、外側から見た変身に興味が向かいがちであり、しかも初期の作品では、特殊メイクなどの技術がまだまだつたなく、いま見ると笑いを誘うものも少なくない。同じ変身をテーマにしたものでも、約一年後に撮られた『キャット・ピープル』の繊細な描写にくらべると、『狼男』の変身描写はあまりにもずさんである。



わたしが今回狼男を取り上げたのはたんなる個人的な興味からだったのだが、調べているうちに、この41年作の『狼男』が今度ハリウッドでリメイクされることを知った。21世紀の狼男はどのような姿で現れるのだろうか。ほとんど期待はしていないが、機会があったら見てみたいものだ。