明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。





























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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

Mの系譜〜『Der verlerone』『Nachts, wenn der Teufel Kan』

ピーター・ローレ『Der verlerone』(51)


以前、このブログで名前だけ出したことがあったが、内容にはふれなかった。この先、適当なタイミングがくるとも思えないので、この辺で紹介しておく。

ピーター・ローレ唯一の監督作品である。ローレはナチを逃れて渡米し、ハリウッドで俳優としてそれなりの地位を築いた後に、ドイツに帰ってこの作品を撮るのだが、ほとんど理解されず、失意のなか、俳優業に戻ってゆく。その約10年後に死ぬまで、この作品のことを口にすることはほとんどなかったという。


この映画でローレは、自ら主役を演じてもいる。彼が演じるのは、戦後のドイツで、避難民や元捕虜たちを治療する診療所につとめる医師ロートだ。そこに彼の助手としてノヴァクという男がやってくるところから、物語は始まる。

ノヴァクは元ナチの党員であり、今は偽名を使って、不安におびえながら生き延びている。実は、彼は、戦時中に、ロートがつとめていた生物研究所で、ロートの助手をしていた男だった。ロートも実は本名ではなく、彼もまた、戦後、身を潜めて生きていたことが判明する。

ロートとノヴァクは、その夜、だれもいなくなった酒場で、二人きりで会う。映画は、二人の会話に挿入される過去の回想シーンを中心に進んでゆく。

ロートは研究一筋の男だったが、彼の研究は、彼の知らないところで、ナチのスパイ活動に役立つものとして、党から注目されていた。さらに、そこに事件が起きて、ロートはますますナチと深い関わりを持つことになる。実は、彼の婚約者が、彼の研究のデータを連合国側に渡していたことが判明したのだ。その事実を突き止めたのはノヴァクで、彼はロートの婚約者に近づき、肉体関係を持って油断させ、秘密をそれとなく聞き出したのだった。

その日、家に帰ったロートは、婚約者を問い詰めて告白させ、そして激情に駆られて彼女を絞め殺してしまう。そこにやってきたノヴァクとナチの大佐が、てきぱきと事を運び、彼女の死は自殺として処理される。だが、この事件をきっかけに、ロートは、売春婦や尻軽な女たちに対する自分の内なる殺人衝動を抑えられなくなる……。


ピーター・ローレは『M』で自分が演じた役をまたしても繰り返しているという言い方も出来るだろう。しかし、この映画でのローレは、不格好に逃げ惑うことも、大声で泣き叫ぶこともない。終始抑えた演技で、圧倒的な存在感を見せる。

ナチス・ドイツを描くときのクリシェも極力避けられている。ナチの将校は軍服を着ていないし、鉤十字の印を眼にすることもない。だれひとり「ハイル・ヒトラー」の敬礼をすることもない。空爆で崩れ去った建物が映し出されるのも、ただ一度きりだ。

台詞は必要最小限に抑えられ、観客は、いわば台詞の行間を読むことを求められる。注意深く見ていなければ、人物同士の関係もわからないし、なにが起こっているのかさえ見逃してしまいかねない。回想シーンの最後のほうで、ノヴァクを殺してすべてを終わらせることに決めたロートが、とある建物に忍び込む場面がある。そこで彼は、何かの陰謀らしきものが企てられている場面を目撃するのだが、それがどうやらヒトラー暗殺の計画だったらしいことをわたしが知ったのは、何度か見直したあとだった。


ここに描かれているのは、一言でいうなら、戦後のドイツに立ちこめていた罪の意識であると、とりあえずいうことが出来るだろう。このようなテーマは、この映画が撮られた戦後間もないドイツでは、いまだにタブーだったはずだ。この映画がだれからも理解されなかったのも無理はない。


戦前のドイツ映画を論じた書物『悪魔のスクリーン』の最後の部分で、ロッテ・H・アイスナーは、この作品をとりあげ、戦前の偉大なるドイツ映画の輝きを感じさせる例外的な戦後作品として高く評価している。しかし、この映画は結局黙殺されてしまった。「ドイツ映画は、ピーター・ローレとともに、そして、ドイツで映画を撮ることをやめてしまったフリッツ・ラングとともに、再生するチャンスを失ってしまった」。アイスナーがこう書いたのは、1965年のことだった。ニュー・ジャーマン・シネマの作家たちが台頭するのは、この数年後だ。若い映画作家たちの登場を見たアイスナーは、ドイツの映画が再び花咲こうとしていると、ラング宛てに手紙を書く。しかし、死期が迫っていたラングから帰ってきた手紙には、「残念ながら、それは信じられない」と書かれていたという。


この映画のアメリカでのタイトルは『The Lost One』(「失われた男」ぐらいの意味)で、これはローレの伝記のタイトルにもなっている。

ドイツ語版字幕なしの DVD なら Amazon.de で簡単に手には入る。残念ながら、Amazon.com でも Amazon.fr でも扱っていない。英語字幕版の DVD を購入できるページがあったのだが、ブックマークし忘れたので、見つからなくなってしまった。そんなに需要があるとも思えないので、探すのも面倒だ。気になる人は、自分で見つけていただくとありがたい。


ロバート・シオドマク『Nachts, wenn der Teufel Kam』 (57)


ピーター・ローレの6年後に、アメリカからドイツに帰って来たシオドマクが、これもおそらくは『M』を強く意識しながら撮ったであろうと思われる作品。

第二次大戦中のドイツで、若い女ばかりを狙った連続殺人事件が起きる。地元の警察が捜査を進めるが、犯人はいっこうに見つからない。そこにSSが介入してくる。連続殺人犯の捜査にナチが協力するという構図が、すばらしくアイロニカルだ。捜査を担当する警部は、その言動から、どうやら反ナチらしく、党に属していないことをナチの将校に詰問されて、言葉に詰まる。そのナチの将校を演じているのは、この数年後に撮られたロッセリーニの『ロベレ将軍』でも、ロベレを利用してレジスタンスの情報を引き出そうとするナチの将校を演じることになる Hannes Messemerだ。

『M』や『Der verlorene』と同様に、この映画でも、シリアル・キラーは、いわば社会の犠牲者として描かれている。ただ、この映画の連続殺人犯は、ピーター・ローレのような強烈な個性が演じていないというせいもあるのだろうが、どこか印象が薄く、脇役にとどまったままだ。

警察はようやく犯人を突き止めるが、ナチはその事実を知りながら、別の男を犯人として処刑する。アーリア人の党員が連続殺人犯であるなどということはあってはならないのだ。この処置に逆らおうとした警部が前戦に送られるところで映画は終わっている。

シオドマク晩年の傑作の一つだと思うが、『Der verlerone』にくらべると、尋問シーンなどナチスものの映画の紋切り型も多く、従来のハリウッド映画に近い作品ではある。