気がついたらもう1月もなかば。そろそろなにか書き始めるとしよう。
『Wの悲劇』の菅野美穂はよかった・・・ などという話はいまはどうでもよい。
リチャード・フライシャーの『絞殺魔』の DVD が日本で発売されるようだ。わたしは米版を持っているので、とくに嬉しいニュースでもないのだが、見ていない人も多いだろう。見ているけれど、シネスコ版ではまだという人もいるかもしれない。わたしが最初に見たのも、分割場面が意味をなさないテレビのトリミング版だった。
ついでに『10番街の殺人』を出してもよかったんじゃないか。個人的には、『ラスト・ラン/殺しの一匹狼』と、あと『センチュリアン』が、そろそろ見直したいのだが……。
『センチュリアン』で思い出したが、デイヴィッド・マメットが撮った『殺人課』(91) という映画を最近見た。地味な映画なので、日本で公開されていたことにも気づいていなかった。これも Criterion から DVD が出ているのを見てはじめて、その存在を知った映画のひとつだ。
ボルチモアの殺人課のユダヤ人の刑事が主役の映画で、それこそ『センチュリアン』やウィリアム・ワイラーの『探偵物語』(ちなみに、これ誤訳です)みたいな「警察もの」なのかなと思って見始めると、一見なんでもない強盗殺人事件の背後に、反ユダヤ組織の影が見え隠れしていることに主人公が気づくあたりから、話が思わぬ方向に進んでいく。被害者の家族に接触するうちに、自分が今まで否定してきたユダヤ人としてのアイデンティティに目覚めた主人公は、やがて刑事としての一線を越えてしまう。結局、自分のアイデンティティを見失った主人公がひとり取り残されるラストは、むなしく、余韻を残す。傑作とはいわないが、見逃すには惜しい作品だ。
ユダヤ人を描いたアメリカ映画は少なくないが、狭いコミュニティ向けに撮られたウルマーのイディッシュ映画など一部の例外を除くと、反ユダヤ主義の犠牲者という単純な構図に収まってしまっている作品が大部分だ。その点、この作品におけるテーマの掘り下げ方は興味深い。
もっとも、自分の出自を否定してきたユダヤ人が、民族の血に目覚めるという話なら、すでに『ジャズ・シンガー』のなかで描かれている。見ていない人のなかには、アル・ジョルソンが黒人に扮したスチールだけで判断して、この映画が黒人を描いた映画だと思い込んでいる人もいるだろう。初のトーキー長編劇映画として知られるこの作品は、実は、ユダヤ人の生活に意外と踏み込んだ映画なのだ。この映画の字幕のなかには、アモス・ギタイの映画のタイトルにもなった「ヨム・キプール」という言葉も出てくる。
ところで、フライシャーはこの『ジャズ・シンガー』を、約50年後にニール・ダイアモンド主演でリメイクしているのだ。
と、話がフライシャーに戻ったところで、終わりにしよう。