明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。


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神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

ルイス・ガルシア・ベルランガと 50 年代スペイン映画(1)

ルイス・ガルシア・ベルランガは、フアン・アントニオ・バルデムらとともに、50 年代におけるスペイン映画の再生に中心的な役割を果たしたとされている監督である。49 年に共同監督した『Paseo sobre una guerra antigua』がともに処女作というベルランガとバルデムは、文字通り同時期にデビューを飾ったふたりだ。しかし、『恐怖の逢びき』で知られるバルデムや、彼らに約 10 年ほど遅れてデビューしたカルロス・サウラなどとくらべると、ルイス・ガルシア・ベルランガの日本での知名度は驚くほど低い。

ミシェル・ピコリが等身大の人形に恋する男を演じて物議をかもした『等身大の恋人』(74) が、唯一日本で公式公開されたベルランガ作品になるようだが、Allcinema のこの作品のページには解説もコメントもまったくなく、おまけに日本公開年さえ記されていない(ひょっとすると、一般公開ではなかったのかもしれない)。ベルランガの名前は、日本ではすでにまったく忘れられてしまっているというよりも、ほとんどまだ知られていないといった方がいいようだ。

ジョルジュ・ド・ボールガールが製作した『大通り』(56) あたりで頂点を極めた直後に、フランコ政権に投獄され、出していた雑誌も廃刊に追いやられ、作家的には凋落の一途をたどっていったように思えるバルデムにくらべ、ベルランガはその批判精神を衰えさせることなく、ずっと長いスパンで活動を続けたように見える。バルデムの作品は『恐怖の逢びき』しか見ていないので、断言はできないのだが、おそらくは彼よりもずっと才能に恵まれていたといっていいベルランガの作品が、日本ではまともに見られなかったし、いまだに見られないというのは、非常に残念だ。



かくいうわたしも、ベルランガの作品は3本しか見ていない。今日はその3本の作品について紹介したいと思うのだが、その前に、彼やバルデムが登場したころのスペイン映画について復習しておこう。


彼らが登場したころのスペイン映画界はいったいどのような状況だったのか。『スペイン映画史』(乾英一郎著、芳賀書店)という本に、36 年から 74 年までにスペインで上映禁止になった外国映画のリストが載っている。その中のいくつかだけピックアップしてみよう。50 年代には、『見知らぬ乗客』、『オール・ザ・キングス・メン』、『第十七捕虜収容所』、『嘆きのテレーズ』、『スタア誕生』(ジョージ・キューカー)、『夏の嵐』、『非情の時』などが、60 年代には、『アパートの鍵貸します』、『甘い生活』、『ブーベの恋人』、70 年代になっても、『真夜中のカーボーイ』、『誰が為に鐘は鳴る』(サム・ウッド)、『暗殺者のメロディ』、『戦艦ポチョムキン』などといった作品が上映禁止になっている。いま挙げたのはほんの一部であり、実際には、もっと膨大な数の映画が上映禁止になっている。ブニュエルのほぼ全作品がそうであり、ロッセリーニベルイマン、アントニオーニ、あるいは『女は女である』『女と男のいる舗道』のゴダールなど、時代の寵児であった監督たちの作品の多くも公開を禁止された。また、上映されることはされたが、検閲によってひどい改ざんをされた作品も数多い。たとえば、フォードの『モガンボ』で、グレース・ケリー扮する人妻が不倫するのが不道徳であるとして、ケリーと夫との関係をむりやり兄弟という設定に変えたなどという例もあるそうだ。

上映禁止になった外国映画のタイトルをざっと見るだけで、この時代にスペイン国内で映画を撮っていたものたちがどれほどの不自由のなかにいたか、想像がつく。フランコ独裁政権に加えて、スペインはもともと強力なカトリック国だったこともあって、この時期、現体制を批判することが禁止されていたのはもちろん、共産主義社会主義に関わる表現や、軍隊、教会、聖職者に少しでも敵対するような言辞もすべてカットされたという。その結果、スペイン社会の現実からはほど遠い、たとえば『汚れなき悪戯』のようなごくごく凡庸な作品が、国策にそった「公式の」スペイン映画として国際舞台でスペインを代表することになってゆくのである(ちなみに、『汚れなき悪戯』の監督ラディスラオ・ヴァホダは、スペインに長らく住んでいたが、実はハンガリー人)。

アルモドバル以後のスペイン映画しか見ていないという人のなかには、スペイン映画は検閲とはずっと無縁だったと無邪気に思っている人もいるかもしれない。ここで、上の事実を再確認しておくのも無駄ではないだろう。実際には、76 年に検閲が基本的に廃止され、表現の自由が認められるまでは、スペインはヨーロッパ屈指の検閲国だったのである。

余談だが、検閲の問題と無縁ではないので書いておくと、スペインでは、41 年以後、公開されるすべての外国映画にスペイン語の吹き替えをつけることが義務づけられたという。フランコ独裁政権は、言語においても独裁制を敷き、標準スペイン語カスティーリャ語)のみを公用語として、カタルーニャ語をはじめとするマイノリティー言語を弾圧したのだが、この吹き替えの義務化もその一環だと思われる。この制度はすでに廃止されているはずだが、その時期がいつなのかは、ちょっと調べたかぎりではわからなかった。ともかく、かなり長い間、スペインでは外国映画をオリジナル音声では見られなかったのはたしかである。独裁制が終わったあとでも、その慣習は残っており、スペインの映画館では、いまでもロードショーされる外国映画の多くが吹き替えで上映されているようだ。DVD でも事情は同じである。スペインで出ている外国映画の DVD を買うと、必ずといっていいほどスペイン語の吹き替えが入っているのだ。

外国映画は字幕で見るのがふつうという日本とは違って(最近はそうでもなくなっているが)、ヨーロッパでは外国映画が吹き替えで上映されるのはふつうであり、とくにイタリアなどでは、映画館で上映される映画の大多数は吹き替えだったと思う。しかし、スペインの場合は、そこにフランコの独裁時代が影を落としているというのは興味深い。

フランコの時代が過去のものとなったいまは、カスティーリャ語(われわれがふつうスペイン語と呼んでいるもの)のほかに、ガリシア語、カタルーニャ語バスク語がスペインの公用語となっている。スペイン版の外国映画の DVD には、カタルーニャ語の吹き替えや字幕がついているものも少なくない(ガリシア語、バスク語までフォローしている DVD はわたしの記憶する限りない)。しかし、皮肉なことに、いま、このカタルーニャ語がスペイン映画界を揺るがせる問題となっているのである。

カタルーニャでは、カタルーニャ語の使用を拡大するための政策がいろいろ取られてきたようなのだが、最近、カタルーニャの映画館で上映される外国映画(すべてではなく、一定数以上のスクリーンで上映される映画のみ)にはカタルーニャ語の吹き替えをつけなければならないという、カタルーニャ映画法なるものが施行されれ、これが物議を醸しているのだ。カタルーニャ語を顕揚する目的でつくられた法律だとは思うのだが、ただでさえ収益が落ち込んでいるカタルーニャの映画館の半数以上が、この法律はさらに状況を悪くするだけだとして、ストに入ってしまったのだ。これは今年の2月のことで、いま現在どうなっているのかは、ちょっとわからない。


この問題はいま始まったわけではなく、以前、『ハリー・ポッターと賢者の石』の映画版が公開されたときも、スペイン語吹き替え版しか用意していなかったアメリカのワーナー本社に、カタルーニャ語も用意しろという大量の抗議Eメールが送りつけられるという騒ぎがあった(確認していないが、この抗議が功を奏してか、続編以後からは、カタルーニャ語吹き替え版も用意されることになったはずである)。

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ルイス・ガルシア・ベルランガの話をするつもりだったのだが、ずいぶん話がそれてしまった。しかし、これ以上長くなると、みんな読む気がなくなりそうなので、このへんでやめておく。

続きは今度。