明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。


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神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

新作DVD〜『ボヴァリー夫人』『アルプス颪』『幻の女』ほか

ヴィンセント・ミネリ『ボヴァリー夫人』


最近、映画館が遠く感じられる。去年は、いろいろ見逃してしまったものだ。ソクーロフの『ボヴァリー夫人』もつい行きそびれてしまった一本である。

──というのは嘘で、本当は、まるで見る気がしなかったのだ。もともと死ぬほど好きな監督ではないし、だいたいわたしは文芸映画が大嫌いなのである。そんなわけだから、ヴィンセント・ミネリの『ボヴァリー夫人』も、大して期待せずに見始めたのだった。しかし、意外や意外、これが傑作だったのだ。

冒頭、いきなり裁判の場面ではじまるのにまず驚く。風俗壊乱のかどで作者のフロベールが裁かれたあの有名なボヴァリー裁判である。むろん、原作の小説には、こんな場面はない。被告のフロベールが、「たしかにエンマ・ボヴァリーは怪物かもしれないが、はたしてわれわれにエンマを裁くことができるのか」、と傍聴者たちに問いかけ、エンマの物語を語りはじめるのをきっかけに、映画が本筋にはいってゆくという仕掛けである。

フロベールをジェームス・メイソンが演じているのはしっくりこなかったが、冒頭の裁判シーンが終わると、フロベールはナレーションの声で進行役をつとめるだけになり、最後にもう一度、裁判の場面に戻ってくるまで、姿を現さない。裁判劇にはさまれた枠物語のかたちになっていることで、映画には原作にないモラリスティックなニュアンスが多分に加味されている。

筋自体は原作にかなり忠実だが、『ボヴァリー夫人』の愛読者が違和感を覚えそうなところも多い。ジーン・ロックハートの演技にもかかわらず、オメー氏の存在感がいかにも薄いことがそのひとつだ。一方で、ボヴァリーを金銭的に破滅に追い込んでゆく借金取りの悪魔的な存在が強烈に前面に押し出されていたりする。これも、この映画化作品のモラリスティックな部分を強調することに貢献しているように思える。

何か重苦しい映画の印象を与えてしまったかもしれないが、この映画のミネリの演出はどこまでも軽やかだ。とりわけ、エンマがはじめて社交界の舞踏会で踊る場面には驚かされた。大広間の巨大な鏡のなかに映る、男たちに囲まれた自分の姿をうっとりと眺めたあとで、エンマがロドルフと踊りはじめると、キャメラもいっしょにぐるぐると回りだす。眩暈がするような高揚感のなかで、エンマが、もう踊れない、息が詰まるとささやくやいなや、ロドルフが下僕に「窓を割れ」と命ずると、下僕たちはためらいもせずに、広間の庭に面した大きなガラス窓をたたき割る。夢のただ中にいるような酩酊感が絶頂に達するこの瞬間、ぐでんぐでんに酔っぱらったエンマの夫が、エンマの名を叫びながら無様に駆け寄ってくるのだ。

エーリッヒ・フォン・シュトロハイム『アルプス颪/グレイト・ガッポクリティカル・エディション』(2枚組)


それにしても、映画に描かれる登山というのは、どうしてこういつもいつも殺意に満ちているのだろうか。

ロバート・シオドマク『幻の女』


自分のアリバイを証明してくれるはずの女を、不思議なことに、だれひとり覚えていず、殺人犯にされてしまうというミステリーな筋立ては、なかほどで真犯人が分かってしまうこの映画において、実は、どうでもいい部分にすぎない。エラ・レインズが、上司のアリバイを証明するために執拗につけ回していたバーテンダーと、薄暗い夜の駅のプラットフォームでふたりきりになる場面での、殺意に満ちた空間の演出。有名な、エリシャ・クック・Jrがドラムをたたくシーンにみなぎるエロティシズム。フィルム・ノワールのひとつの頂点ともされる映画である。

ちなみに、フランスでの公開タイトルは『殺す手』。自分の殺人衝動をコントロールできない犯人には哀れみさえ覚える。そういえば、『火山の下で』(映画・原作ともに)のなかにも引用されている『狂恋』(Mad Love) という映画があった。モーリス・ルナールの有名な小説の映画化で、ロベルト・ヴィーネによる映画化以来、3度ほど映画になっているのだが、ピーター・ローレが主役の天才的な外科医を演じたこのカール・フロイント版が、たぶんいちばん有名ではなかろうか。ローレが恋い焦がれる女のフィアンセのピアニストが、事故で両腕を失い、ローレが彼の腕に死刑囚の腕を移植すると、その腕が勝手に人を殺そうとするという映画だった。別にたいした映画ではなかったが、スキン・ヘッドのピーター・ローレが強烈な印象を残し、いまでも忘れがたい。

西村潔『豹(ジャガー)は走った』


田宮二郎の殺し屋と加山雄三の刑事が死闘を繰り広げる、東宝アクション映画の名作。


ついでに、映画の本をいくつか。

蓮實重彦『東京から 現代アメリカ映画談義 イーストウッド、スピルバーグ、タランティーノ』 (単行本(ソフトカバー)


ユリイカ」に載った対談の全長版ですか(?)。未確認。


遠山純生『イエジー・スコリモフスキ 紀伊國屋映画叢書・1』 (単行本(ソフトカバー))


アンナと過ごした4日間』の勢いに乗ったのか、紀伊国屋からスコリモフスキの DVD の発売予定があるのか、それともたんに出したかっただけなのか。勝算があるのかどうか不明だが、とにかく、出すからには売れて、スコリモフスキの名前が少しでも有名になればいいと思う。ムンクとザヌーシもなんとかしてよ。


樋口泰人『映画は爆音でささやく 99-09』(単行本(ソフトカバー)