明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。


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神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

RKO Pathé についての覚書


わたしが RKO Pathé のロゴをはじめて目にしたのは、ジョージ・キューカーの『栄光のハリウッド』(31) という作品のなかだった。RKO のオープニング・ロゴといえば、Radio Pictures になってからの、電波塔から電波がピピピと出るあれしか知らなかったから、映画の冒頭で、"AN RKO PATHE PICTURE" という文字のバックに、回転する大きな地球儀の上にのった雄鶏(パテのトレードマーク)がコケコッコー(いや、フランス式にココリコと書くべきか)と鳴くのを目にしたときは、衝撃を受けたものだ。(ちなみに、鶏は回転していないので、地球儀と鶏の映像を合成したもののようだが、ひょっとしたら下半身の安定した鶏をつかったのかもしれない)。

長年映画を見てきて、なんでも知っているつもりになっていたが、こんなことも知らなかったのかと、そのときは思った。しかし、実際のところ、かなりの映画ファンでも、一生このロゴを目にしない人も少なくないに違いない。RKO Pathé でつくられた作品はほんの一握りしかないからだ。

RKO というのは、その前身をたどればサイレント時代のミューチュアル・フィルムあたりにまでさかのぼることができるかもしれないが、基本的には、トーキー以後に誕生した映画製作会社である。この会社が設立に至る経緯はとても複雑なので詳しくは書かない。簡単にいうなら、Photophone という独自のサウンドシステムを開発していた RCA (Radio Corporation of America ) が、28年、すでにトーキー映画にはいっていた ワーナー や FOX に対抗できる映画スタジオをつくるために、FBO (JFK の父親ジョセフ・P・ケネディが有していた映画スタジオ)と、劇場チェーン KAO (Keith-Albee-Orpheum) を合併吸収した結果として誕生したのが、RKO (Radio-Keith-Orpheum) Pictures であった。

その過程において、アメリカで映画事業を展開していたパテの映画製作部門も RKO に合併されたのである。ここからがまたごちゃごちゃするのだが、その後、アメリカン・パテは、ジョセフ・P・ケネディが所有することになり、ケネディはパテを、カルバー・シティ・スタジオにうつし、映画製作をはじめる。しかし、ケネディは 31 年、パテをカルバー・スタジオともども RKO に売却して、この事業から手を引く。こうして、生まれたのが RKO Pathé である。

IMDb で調べると、RKO Pathé でつくられた作品は、31 年から 57 年まで、百数十本ほど存在する。しかし、それらのかなりの部分が 10 分程度の短編であり、また、RKO Pathé は、32 年にはすでに、短編とドキュメンタリーのみに製作を絞る方針を打ち出していた。だから、RKO Pathé のロゴではじまる『栄光のハリウッド』のような長編劇映画がつくられていたのは、31 年から 32 年にかけての、たかだか1年あまりのことにすぎない。意識して探して見なければ、偶然、RKO Pathé のロゴを目にすることはほとんどないといっていいだろう。(ちなみに、リチャード・フライシャーのデビュー作の短編も、IMDb ではたんに RKO となっているが、正確には、RKO Pathé 作品である。彼の自伝『Tell Me When to Cry』には2ページ目から Pathé の文字が登場する。いってみれば、フライシャーはパテ・ベイビーだったのだ。)

日本映画でいうと、かつてほんの一時期だけ、第二東映というのが存在した。東映の一部なのだが、オープニングが東映とはちがっていて、たまにそれを目にすると、なにか得したような気になったものだ。


第一次大戦まで、パテは世界の映画市場を支配していたといっていい。しかし、RKO が誕生する 20 年代末には、どうしようもない経営危機に陥っていた。創設者のシャルル・パテは、29 年には、すべてを売却して、リビエラに引退している。シャルルからパテを買収して、フランスでの事業を引き継いだのは、ユダヤ人の映画プロデューサー、ベルナール・ナタンだった。反ユダヤ主義の攻撃にもめげずに、ナタンは会社を建て直すのだが、第二次大戦においてナチがフランスを占領した際につかまりアウシュヴィッツ送りになってしまう。だが、それはまた別の話だ。

一方、30 年代 40 年代に、『キングコング』やアステア&ロジャースのミュージカルで黄金時代を築いた RKO も、第二次大戦後になると、急速に経営が悪化し、48 年にハワード・ヒューズの手に渡ると同時に、彼のワンマン経営によって完全に息の根を止められてしまう。このころ、過去の RKO 作品の多くが売却されて、人手に渡っている。のちに、それらの作品は、テッド・ターナーの所有するところとなる。現在、ワーナーから続々と発売されている DVD シリーズ、"Warner Archive Collection" に、実は、RKO 作品が多数まじっているのは、そういう次第からだ。

しかし、残念なことに、ワーナーから出ているこれらの RKO 作品の DVD は、どうやら日本では発売できないらしいのだ。詳しくはわからないが、あの IVC が日本での RKO 作品のソフト販売権を所有していることが、その原因らしい(パブリックドメインになっている作品の、正式ではないプリントからつくられる廉価版 DVD などは、このかぎりでない)。どこからでもちゃんとしたものが出るならそれでいいのだが、IVC はワーナーが所有している『市民ケーン』などの、RKO 作品のクオリティーの高い DVD を日本で出す気はさらさらないようだ。だから、あの素晴らしい2枚組のワーナー版『市民ケーン』は、IVC が潔くすべての権利を放棄して、さっさと消滅してくれないかぎり、日本では発売することができないというわけだ。なんてことだ。