選挙の季節、ということで、どさくさにまぎれて、ロバート・アルトマンの未公開作品を2本紹介しておく。
「現役の政治家を撮ったドキュメンタリーでこれほど衝撃的な作品はないだろう。ニクソンが部屋のなかでひたすら一人でしゃべりまくるのだが、部屋にはモニターがあって彼自身それを見つつ、キャメラやマイクの位置を自由に動かしながら話しつづける。政治家の自己意識にひたすら迫った作品である。アルトマンはこれから三年後、大統領選をテーマにした架空のドキュメンタリー『タナー・88』を撮っている。」
ある人が「ドキュメンタリー・ベスト50」の一本にロバート・アルトマンの映画『秘密の名誉』を選んで、上のように書いていたので、実際に見るまではドキュメンタリーだとすっかり信じていた。
大統領執務室で、酒を飲んで悪態をはき、のたうち回ったあげく、こめかみにピストルを押し当てて、「マザー、マザー」と叫ぶこの男が本物のニクソンだったとしたら、たしかに衝撃のドキュメンタリーだったろう(まあ、その前にニュースになっているだろうが)。
いまこの作品を見る人にはすぐにわかるはずだが、『秘密の名誉』にたった一人登場するこの人物は、ニクソン本人ではなく、アルトマンの精神的弟子といっていいポール・トーマス・アンダーソンの作品でいまや日本でもおなじみの俳優、フィリップ・ベイカー・ホールである。この映画は、ドナルド・フリードとアーノルド・M・ストーンによる一人芝居を、芝居でもニクソンを演じていたフィリップ・ベイカー・ホール主演でアルトマンが映画化した作品なのである。大統領執務室に見えていたのも、実はミシガン大学の構内である。
(当時はアメリカでも一部の人にしか知られていなかったとはいえ、別に特殊メイクをしているわけでもなく、ほとんど似せようと努力しているようにも見えないベイカー・ホールの顔をニクソンと見間違えるなんてことがあるのだろうか。謎である。)
映画の冒頭、ニクソンは執務室に入ってくると、机の上のテープレコーダーに向かって、言葉を吹き込み始める(ベケットの『クラップ最後のテープ』を思い出させる設定だが、ニクソンがテープの操作になれていないというのが、皮肉が利いていていい)。ウォーターゲート事件で大統領を辞任し、後任のフォードにより恩赦をうけて訴追を免れた直後という設定で、彼の語る言葉は勢い恨み辛みのこもったねちっこいものとなっていく。執務室の壁には、歴代の大統領やキッシンジャーの肖像画が飾られていて、ニクソンは彼らの一人ひとりについて、賞賛、憎悪、嫉妬の入り交じった感情を、激しく、また哀れっぽく、言葉にして吐き出す。壁の物言わぬ肖像画のまなざしが、モンタージュされたモジューヒンの顔のように、ときに嘲笑し、ときに哀れんでいるように見えてくるのが不思議だ。
ニクソンの独白はほとんど「意識の流れ」といいたくなるほど複雑であり、絶えず脱線していく。どこに向かっていくか分からないこのモノローグの内容を要約するのは難しいし、それほどアメリカの政治に精通しているわけでもないわたしには、理解しがたい部分も多い。この映画はたしかにフィクションだが、ニクソンの独白をかたちづくる細部の多くは事実に基づいていると思われる。詳しい人が見れば、面白みもますだろう。しかし、分からなかったとしても、別に問題ではないし、それらの細部の真偽を確かめることに、それほど意味があるとは思えない。彼のセリフのなかには、実在するさまざまな人物の名前や政治団体名が出てくる。だが、あまり細かいことに惑わされる必要はない。要するに、この映画のニクソンは、自分の身に起こったすべてのことを、自分以外の他人のせいにしたいだけなのだ(自分は犯罪は犯していない。だから恩赦をうける必要もない。だが、フォードの恩赦のおかげで、自分は犯罪者になってしまった……等々)。そして、その根底には、自己嫌悪が隠されていると思うのだが、ニクソンはそれだけは認めようとしないようだ。要するに、彼はたぶんアメリカの大統領史上もっとも複雑な人物なのだ。そして、あえていうなら、もっとも魅力的な人物なのである(むろん、そこには嫌悪が伴うのだが)。
(『Secret Honor』は『名誉ある撤退〜ニクソンの夜〜』というタイトルでピア・フィルム・フェスティバルで上映されたことがあるとのこと。)
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予定以上に長くなってしまったので、『タナー・88』については、簡単にふれるだけにしよう。こちらは 88 年の米大統領選と同時進行で、架空の大統領候補者ジャック・タナーの選挙キャンペーンを描いたテレビドラマである。これもフィクションではあるが、きわめてドキュメンタリーに近い手法で撮られており、『秘密の名誉』よりもこちらの方がよほどドキュメンタリーの名にふさわしい。ジャック・タナーというのはマイケル・マーフィーの演じる架空の人物であり、彼の選挙運動もフィクションにすぎないのだが、アルトマンは撮影スタッフを実際の選挙戦がおこなわれている現場に送り込み、本物の政治家たちを登場させて、フィクションと現実の境界を曖昧にさせていく。そのために脚本は臨機応変に次々と書き換えられていったというが、撮影と同時進行で編集もおこなわれ、その日撮られたエピソードが、その日のうちにテレビで放映されたというから、さらに驚く。
『秘密の名誉』同様、この作品も、いまのわれわれには分かりにくいアメリカの(しかも20年以上前の)政治の世界を描いている。詳しくないものには、だれが役者でだれが本物の政治家なのか、そもそも区別がつかない。へたをすると、ドキュメンタリー的な細部には気づかずに、ふつうのドラマとしてみてしまう可能性もある。このドラマが当時のアメリカで放映されたときのインパクトは、いまとなってはただ想像するしかない。
この作品の16年後、アルトマンは、タナーの娘がドキュメンタリー映画作家になったという設定で、『Tanner on Tanner』という続編を撮ることになるのだが、残念ながら、こちらの作品はまだ見ていない。