(承前)だがしかし、彼らが未来についていかに無知だったにせよ、観客である君は、彼ら以上に、自分の来し方について無知なのだ。もしも『四枚の羽根』や『カーツーム』との出会いのごとき文化的事件がなかったなら、君は果たして、スーダンの問題や、そもそもスーダンという国が存在することを、かすかにでも知っていただろうか。ハルツームやオムドゥルマン*1は過去のニュースであり、たまたま映画のプロットの中に形をとどめていただけなのだ。マンモスや剣歯虎がラ・ブレア・タール・ピッツ*2に残されていたのと同じことである。この点について言うなら、かつての大英帝国は、今ではもっぱら、アレクサンダー・コルダが製作した数編の映画の背景として覚えられているのであり、C.オーブリー・スミスが演じて無類の印象を残す鼻息の荒い将軍やインドの専門家、あるいは『コンゴウ部隊』、『ガンガ・ディン』、『進め龍騎兵』といった作品を通じて覚えられているだけなのである。
キッチナーがイングランド=エジプト部隊を率いてハリファ(早死にしたマフディの跡を継いでスーダンで権力の座についた人物)に対して勝利を収める1898年のオムドゥルマンの戦いが起きたとき、A.E.W.メイソンは33歳だった。このときまでには、メイソンは、この4年後に発表することになる小説のイメージをわずかなりとも持っていたのだろうか。それとも、キッチナーの快挙によって、突然インスピレーションがわき起こり、一挙に構想が浮かんだのだろうか。キッチナーの部隊に志願して、若い兵士たちとともにハリファの黒旗に向かって行進するには、メイソンは年をとりすぎていたか、あるいは、『四枚の羽根』の主人公ハリー・フェイヴァシャムのように、単にそんなことをする気になれなかったのだ。
自分の代わりにハリーがやり遂げた偉業を通して、メイソンは自分のいない砂漠の戦場に栄誉を与えようとしていたのだろうか。何にせよ、『四枚の羽根』を書いたことで、あたかも実際に砂漠で戦った英雄のごとき存在になったのであり、戦いの描写を通じて、どことなく勇敢であるという雰囲気を身につけてしまったのだった。34年後になってもまだ彼は、無敵艦隊を描いた小説『Fire over England』の中で英国人を鼓舞し続けているだろう。この小説は(またしてもコルダによって)1937年に映画化され、差し迫るヨーロッパ大陸の危機に直面して、国威発揚に力を貸したのだった。