明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。


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神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

試訳(4)

(承前)


☆ ☆ ☆


『四枚の羽根』が出版される1902年までに、映画は、キネトスコープ、テアトログラフ、アニマトグラフといった様々な名前で、イギリス中で上映されるようになっていた。1905年、プロデューサーのセシル・ヘップワースが、一巻ものの画期的な物語映画『ローヴァーに救われて』*1を公開する。この映画は、ジプシーにさらわれた赤ん坊が、忠犬によって救い出されるまでを描いたもので、当時の基準からいって、複雑な語り(narrative)の勝利というべき作品だった。犬のローヴァーが、赤ん坊の両親に今何が起きているのかを伝えようとして、ひっかいたり吠えたりしてみるのだが、言葉が通じず、無駄に終わる場面で、映画言語は新たな段階に到達したのである。
A.E.W.メイソンは、自分が書いた物語が映画に撮られることを、そろそろ漠然と予見しはじめていたかもしれない。もっとも、本が出版された75年後に撮られた6度目のリメイクが、テレビ向けに作られることまで思い描いていたとは考えがたい。メイソンがハリー・フェイヴァシャムと4枚の羽根をめぐる物語を書いて広く認められていたころ、映画はまさに生まれようとしていたのだが、その75年後には、この古いメディアに、テレビというメディアが取って代わろうとしていたのである。
 半世紀以上前に作られたこの映画、今は消え去った観客たちの嗜好と偏見に訴えかけるよう周到に計算して作られたこの映画を見ることほど、無作為な行為はないだろう。だがしかし、そこに至る過程の一つひとつが気まぐれだったのだ。A.E.W.メイソンがこの本を書いたことも、それが6度映画化されたことも、コルダ兄弟が(1939年の決定版を製作するにあたって)大英帝国の保護のもと、はからずもハンガリースーダンを結びつけたことも*2、何千もの俳優、技術者、宣伝係、その他の労働者たちが、この知的財産に巻き込まれたことも、すべて気まぐれに起きたことだったのである。観客席にじっと座っていた何百万もの観客もまた、気まぐれにそこにいたのであり、『四枚の羽根』を見たことで、彼らの人生が大きく変わったとはとうてい言えないだろう。
現実のスーダン人についても同じである。彼らの歴史と風景を略奪することですべてが可能になったのであるが、彼らは様々な理由で、どのヴァージョンの『四枚の羽根』も堪能しなかったであろうし、見さえしなかっただろう。しかし、そうしたスーダン人の多くが、少なくともコルダ版の映画に実際に出演して、スーダン兵(Fuzzy Wuzzy)の突撃を再演しているのであり、その場面は、ラドヤード・キップリングの詩に接して育った観客には一目瞭然だった。


  さてスーダンに今いるファジー・ワジーに言うが
  貴様は遅れて哀れな野蛮人だが、第一級の戦士だ*3


このベジャ族*4の光景──この映画でもっとも忘れがたいイメージだ──は、キップリングの描写が正確であったことを、遅ればせながら確認させてくれたことだろう。
 第二次大戦によって中断されていたこのゲームが、植民地主義の消滅によって中止になったとき、撮影されたフィルムが──本物の砂漠の戦士たちが写っている本物のフィルムが──予期せぬ価値を持つことになった。1956年までに英国はスーダンから退く。大英帝国の没落後、オムドゥルマンの戦いをロケで再現することは、経済的にも、文化政策的にも、以前に増して非常に多くの問題を抱えることになる。その結果、1939年に撮られたこれらのイメージが、繰り返し繰り返し再利用されることになり、あたかもスーダンの映像はこのときを限りに永遠に凍結されてしまったかのように、その20年後に撮られた『ナイルを襲う嵐』*5の中に現れることになるのだ。
 その一方で、ケーブル・チャンネルによって放映された見事に光り輝くカラー映像を、君が寝ぼけ眼で見ているときにも、実在のナイル川は、実在のスーダンは、実在のオムドゥルマンは、たしかに存在している。キッチナーとアブドラヒ・イブン・サイードムハンマドの遺骨は、ラルフ・リチャードソンとジューン・ドペレス*6の遺骨とともに、この地上のどこか、というかこの地中のどこかに、実際に存在しているのである。映画の撮影も、そのきっかけを与えた歴史的出来事も、すべて実際に起きたことだ。『四枚の羽根』におけるオムドゥルマンの戦いの再演は、そのモデルとなった現実の戦い同様に、歴史上起きたことであり、証明できることなのである。君の目の前にその証拠がある。偽物の戦いを撮影した本物のフィルムが、その証拠だ。君が手にしているものと言ったらそれだけであり、これからもそれだけしかないのである。




この歴史の流れのいかなる瞬間、いかなる局面においても、ぐずぐずと立ち止まったままでいることはできない。前へ前へと押し出す流れの中に、君はとらえられてしまっているのだ。現在の思考と知覚を留めおこうとして、脳がいかなる筋肉を使おうとも、それは役に立たない無様な仕草にしかならない。「ちょっと動くのをやめてくれたら、メモをとろう」。しかしそれは止まってくれないのだ。何も暗記されない。何も暗記されるほど十分に繰り返されない。君は、手が届きそうで届かない移ろう影を、どうすることもできずにただ追い求めるだけだ。
『四枚の羽根』はすでに、君が把握したいと思っているよりももっと大きな歴史とリンクされている。しかし、結局、『四枚の羽根』は、無数にあるそんな一群の関係の中のほんの一つでしかないのだ。もしも飽きたなら、それに伴うまとまりのない思考ともども、一瞬のうちに消し去ってしまうことができるのである。この歴史が気に入らなくなったら、別の歴史を取り上げればいい。どこなりと飛び込めばいいのだ。君の周りは、山のような潜在的イメージで、無秩序に積み重ねられて散在しているカセットテープの箱で、あふれかえっている。世界は君の気まぐれひとつでいつでも活性化するのだ。
 すべてはここにそろっている。『カリガリ博士』、『戦艦ポチョムキン』、女装したチャップリン、狂った外科医を描いたフィリピン製ホラー映画、ロンメル機甲師団の挟み撃ち作戦を地図を使って図示するアニメ、嫉妬に狂った夫が何時間にも思えるあいだぶっ通しで泣き続けるエジプト製ソープオペラ、ヒッチハイカーと連続殺人鬼を描いたテレビ向けドラマ、ずらりと並んだ70分ものの騎兵隊西部劇、ロングアイランドで撮られたヌード・シーンが挿入されるロシア製SF映画、『バワリー・ボーイズ』*7のベスト集、ロンコンコマ*8の歯医者でロケ撮影されたSMビデオ、『夜までドライブ』、『凡てこの世も天国も』、『ブロードウェイのバークレイ夫妻』、ヒンディー語で撮られた敬虔なミュージカル、日本のギャング映画、ウィリアム・シェイクスピア、チャールズ・ディケンズ、ブロンテ姉妹の無数の脚色作品、『情事』、『The Gene Krupa Story』、『Night of the Blind Dead』、カラー化されたベティ・ブープのアニメ、カルカッタイスファハンの観光ドキュメンタリー、ブルガリアのパンク・バンドのライブ映像、そしてルイーズ・ブルックスグレタ・ガルボヴェロニカ・レイクの映画全集。
 そこで君はスイッチを消す。モニターが真っ暗になる。しかし、そんな荒っぽいやり方では『四枚の羽根』を〈止める〉ことはできないのだ。上記以外に選ばれた1万ものお気に入りの映像、君の視覚的記憶の暗部にしがみつくようにして離れない映像とともに、『四枚の羽根』はしつこく残り続けるのである。無数のイメージを消し去ってしまうには、もう遅すぎる、あるいはまだ早すぎるのだ。君はすでに深く関わりすぎている。飽きるにはまだまだ早すぎるのだ。諸々のイメージは君の中に住み着いてしまっていて、今夜は、たぶん明け方までずっと眠らないでいるだろう。

*1:Kino から出ている『The Movies Begin - A Treasury of Early Cinema, 1894-1913』に収録されている。

*2:アレクサンダー・コルダゾルタン・コルダの兄弟はハンガリー出身。

*3:このサイトの全文訳より引用。

*4:スーダン北東部に居住する遊牧民。大多数がイスラム教信者で、マフディの乱に兵士として参加し、英国軍と戦った。

*5:テレンス・ヤングゾルタン・コルダ監督、55。

*6:『四枚の羽根』(39) でエスネを演じた女優。

*7:The Bowery Boys were fictional New York City characters who were the subject of feature films and short subjects released by Monogram Pictures from 1946 through 1958.

*8:ニューヨーク州ロングアイランド島中部の町, 2 万